本日で4月も終わりである。今年(2015年)も3分の1が過ぎようとしている。いつものことだが、月日は実に速い。わたしも、40半ば近くのオヤジであり、とっととくたばってしまうのでは、などと暦の速さを感じる度に思ってしまう。けれども、まだまだやり足りないことがあり、まだまだくたばれない、というのが本音である。
投稿者: shimutake
とりとめのない言葉
時にモヤモヤッとした感覚に囚われる。かつて「ぼんやりとした不安」という言葉を残し、この世を去った有名な作家がいたが、そんな大それたものではない。本当にモヤモヤッとしたものだ。霧に包まれているのでもない。あるいは、暗闇に閉ざされているのでもない。
そこにいるとは分かっていながらも、どこか遠くを見つめているような、そんな感覚である。おそらく先の「ぼんやりとした不安」の「ぼんやり」は同じでも、「不安」ではない。心配でもなければ、憂鬱でもない。基点も定点もない、どこか浮ついた感覚でもある。
春を感じながらも無気力な日
今日(2015年4月23日)は、非常に暖かだった。在宅の身でありながらも、汗ばむような陽気であり、一日窓を開けていた。実は、これを書いている最中でも、向こうの窓は少し開いている。それでも、寒いということもなく、いよいよ春が到来する季節でもある。
けれども、そうだからだろうか?
夜桜の田島氷川神社
昨夜のことである。飼い犬とともに、近所の田島氷川神社まで散歩に行った。日曜の夜なので、ひと気がなく、わたしにとっては、実に有り難かった。若い頃から、ゴチャゴチャした場所が苦手で、満員電車が大嫌いだった。朝夕のラッシュでは、比較的人が少ない車両を選んだり、遠回りなどをし、都心まで出ていた。もっとも、満員電車が大好き、という人は、わたしに言わせれば、特殊な人である。広い世の中、そういう人がいてもおかしくはないだろうが、やはり、本当の意味でのおかしいと言ったら、語弊があるだろうか?(^o^)
ともあれ、昨夜の散歩は、実に爽快であり、久しぶりに満足した。田島氷川神社については、すでにこのサイトでも触れている。
- 神社への散歩
地元近くでもカッパ(志木市)
カッパに関する記事は、すでにアップしている。
柳田国男の地元が、町おこしのためにカッパ像を造り上げたが、なんともはや、グロテスクであり、そうであるからこそ、リアリティもあるのだろう。伝説の生き物であるとはいえ、一昔前であれば、非常に身近であったのかもしれない。