時の流れを感じざるを得ない サッチャー死去 BBCニュース

すでに多くの方が、ご存じのことでしょうが、イギリスの元首相である、マーガレット・サッチャーが死去しました。本年(2013年)4月8日のことであり、日本でも、大きなニュースとなりました。わたしは、BBCワールドニュースやBBCニュースを視聴していますが、政治のことは、あまり好きではありません。

 

政治のことを語る人の中には、自分の生活に直結しているから、真剣に考えなければいけない、などと言うことがあります。確かに投票権があり、憲法でも国民主権が謳われているので、理解はできます。政策いかんによって、色々な影響があることも、一介のバカオヤジであっても、知っているつもりです。しかし、政治のことを考える前に、目の前のことが大切であり、むしろ、生活を考えているのであれば、政治云々の前に、まずは、生きることが先ではないかと思います。これこそ、生活していることであり、リアルなことでもあると思います。

 

また、政治においては、レッテル貼りばかりを感じ、冷戦が終わっとはいえ、右か左かなどと論じている傾向もあり、わたしの性に合わないことです。現実に、そういう人たちもいるのでしょうが、単純に考えば、社会あるいは国のために「良いこと」をすれば、右も左もないでしょう。BBCのプレゼンターでも、右か左かの見方で、政治家に切り込んでいたことがあり、逆に政治家に窘められていたシーンがありました。この点に関しては、内心、政治家の方に同意していました(笑)。ニュースはチェックするけども政治は嫌い、というのがわたしのスタンスです。もしかしたら、政治は仕方ないが政治家は嫌い、ということかもしれません。(^o^)

 

とにかく、政治に関することは、レッテル貼りに終始し、肝心のことが抜けているように感じます。なおかつ、それに群がる人も、レッテル貼りの後押しばかりをしているようで、嫌悪感のみになります。けれども、政治というものは、おそらく決断であり、憎まれることを覚悟で、決めることは決めなくてはいけないのでしょう。それが政治のダイナミズムとなり、大きな変化を生み出すようにも思います。果たして、日本にも、そういう時が来るのでしょうか?

 

わたしとしては、真の意味での第二維新が起こるには、複数のリーダーが誕生しないとできないのでは、と感じています。当の明治維新もそうでしたし、戦後でも、ライバルのような人たちがいたように思います。集団主義でありながら、中世以来の部族主義的なところのある日本は、意外にバラバラで、規律の中の自由が成り立たない面もあるように思います。それが西欧に劣っている理由とは、さすがのわたしでも思いはしませんが、奇妙なセクト主義だけは、時にやめればいいのに、と思ってしまいます。おそらく丸山真男が指摘した無責任体制とは、これに関係しているのでしょう。

 

典型的な日本的組織と言われるものは、同じ組織内でも、横のつながりがなく、対立ばかりをしているようです。ガバナンスの問題もここにあり、トップに立つ人は、リーダーではなく、単なる代表者であり、権限があるようでなく、組織を引っ張るというものではないのでしょう。

 

また、組織内の対立が競争と思われている面もあるのかもしれません。わたしが学生の時、新卒採用の活動をし、さる銀行のリクルーターに会いました。当時は、バブル崩壊後の最初の就職氷河期であり、戦後最大と言われていました。いわば、ロストジェネレーションの第一世代とも形容できます。そのリクルーターに、銀行は安泰のようなイメージがあるが、競争意識はあるのか、と尋ねてみました。そうしたら、神田支店もあり、赤坂支店もあり、上野支店もあるんだからね、そうやって、ほら、競争してるじゃない、と答えて来ました。わたしは苦笑いするだけで、それ以上、尋ねる気がしなくなりました。

 

今では、自分の中で、笑い話となっていますが、以来、銀行が嫌いになってしまったことは事実です。もっとも、そのリクルーターの質もありますが、組織内の競争が他社、引いては、国際的な競争と同じかといえば、それはどうでしょうか? 確かに競い合ってはいるのでしょうが、どうもシテンはシテンでも、視点が違うように思います。(^o^)

 

けれども、言ってしまえば、会社の下っ端であるリクルーターが、先のようなことを言う時点で、個人的な資質というよりは、組織にも問題があるのでは、とも思います。若い頃から、こういう傾向があり、欧米を崇拝している訳ではありませんが、組織の中で埋没する自分が嫌で、結局、今のようなつまらない在宅仕事(SOHO)が、わたしには、ちょうど良いのでしょう。通勤電車に乗らなくて済み、締め切りまでマイペースで仕事を進められるので、それだけでも十分贅沢な生き方かもしれません。

 

少々話が逸れてしまいましたが、政治で大きな変化を生み出すには、決断ではないかと感じています。それが組織の怖さにも通じるのでしょうが、良さでもあるのでしょう。日本の場合、時に大胆に変化し、猛スピードで成長する傾向があるようです。高度成長が典型的でしょうが、とかく批判されがちな戦前であっても、世界史的に見れば、驚くべきことがあったようです。特に、明治維新後から数十年で、対等関係の日英同盟を締結し、しかも、日露戦争に勝ったことは、非常に大きな出来事であり、現在でも、特筆すべきことのようです。これは、BBC Radio4の番組でも、日本を研究しているイギリスの学者が指摘していました。もしかしたら、約100年前に起きたジャパン・サプライズの一つでもあるのかもしれません。

 

- BBC Radio4
- In Our Time : Japan’s Sakoku Period

 

上記で政治は決断ではないかとお話していますが、サッチャーという人は、決断できる政治家というイメージがあります。少なくも、わたしが記憶している中では、そうです。イギリスと言えば、シャーロック・ホームズとマーガレット・サッチャーと思っていた程、マスコミなどの影響が大きかったのでしょう。このため、サッチャー死去のニュースを知った時、大いに驚いた、というのが、素直な感想です。

 

ご承知のように、サッチャーは、イギリス初の女性首相であり、1979年から1990年まで政権の座に就いていました。わたしが、小学生から浪人までの時代で、いわば少年から青年へと至る年頃です。感受性が強く、難しい時期でもあったでしょう。今もひねくれていますが、その頃は、もっとひねくれていました(笑)。けれども、世の中の流れには、敏感に反応していたことは、事実です。イギリスと言えば、シャーロック・ホームズとマーガレット・サッチャーというイメージも、この頃に作られ、わたしのような一介の凡人にも、強烈な印象があったのでしょう。

 

彼女が首相時代、冷戦の真っ最中であり、青臭いわたしでも、サッチャーは味方だ、というような思いがありました。もっとも、イギリスは、かつての敵国であり、たとえ70年程前のことでも、時折、戦争中のことが表に出て来ることもあるようです。特に、夏においては、マスコミが騒がしくなることは、皆さんもご存じのことでしょう。イギリスとの関係で言えば、先頃、大島渚が亡くなりましたが、彼の映画の中で、取り上げられたものがありました。

 

わたしは、そういう映画が好きではなく、小説も政治的なものが嫌いです。若い時から、プロレタリア文学には、受け入れられないものがありました。途中まできちんと人間を描いているのに、結局は、政治的な主義主張で終わりにします。もちろん、理念は大事であり、個人でも、また、政治家でも、それがあるからこそ、何かを成し遂げられることもあるのでしょう。それは認めますし、わたしにも、多少の理念みたいなものがあります。しかも、人は精神の生き物でもあり、理念が生き方にも左右します。

 

そうは言っても、何かに依存してしまうことは、あまり好きではありません。むしろ、理念と主義は、異なるものではないかとも思っています。理念には、柔軟性を感じますが、主義には、固定性しか感じられず、価値観の創設よりも、価値観の固持でしかないように思います。先でもお話したように、人は精神の生き物とも思いますが、固持するということは、ある意味、精神的な活動を停止しているように思います.もっと言えば、思考停止にも感じます。

 

もっとも、集団や組織は、秩序がなければ、成り立たない面もあり、何かしらの固持した考えが、必要でもあるのでしょう。そこに、社会学的な見方の限界があるようにも思いますが、人の考えには、常に限界がつきまとうことは、わたしの好きな晶子(池田)姉さんが指摘していたことにつながるようにも思います。(^o^)

 

こういう思いがあるので、先で触れた大島渚の作品は、あまり好きではありません。彼にも、強引さがあり、固定した結論がありながらも、どこか曖昧さを残し、そうであるからこそ、問題提起の作品ばかりだったのでは、と思っています。むしろ、彼は映画監督というよりも、映像ジャーナリストに近かったようにも感じます。こういうことなので、映画なら小津安二郎、小説なら芥川龍之介、童話も入れるなら宮沢賢治のような作品が好きです。狭いテリトリーに囚われることなく、奥行きがあり、表現の真髄を感じるからです。もっとも、小津安二郎は、大島渚を高評価していたと聞いていますので、それもまた面白いことではないでしょうか?

 

大いに話がずれまくっていますが、若造だったわたしでも、映像を通したサッチャーに関する記憶があり、「鉄の女」が、彼女の代名詞であったことは、知っていました。決断のできる首相と評され、おそらく日本でも、概ね肯定的に捉えられているのではないでしょうか? しかし、イギリス国内では、「Controversial」と表現されるように、サッチャーに対しての評価は、大きく意見が分かれるようです。VPN経由でBBCを視聴できるようになってから、サッチャーのドキュメンタリーをいくつか視聴しました。わたしが理解した中では、イギリス国内では、それまでのイメージとは、異なっているようです。つまり、「外面は良いが、内面は無茶苦茶」というものです。

 

日本も含め、海外では、おそらく冷戦終結に尽力し、強いリーダーシップで促した、というような評価が多いように感じます。とりわけ、アメリカとは、今日につながるような「Special Relationship」を築き、同盟関係を強固にしたとも言えるでしょう。英米関係は、アングロサクソン同盟と見られ、似たもの同士であるため、強固になるのは当然ではないか、という見方が強いようにも思います。わたしも、その見方を引きずっていたところがありますが、BBCなどを視聴するようになると、アングロサクソン同盟ということも、先入観ではないかと感じるようになりました。

 

確かに、アメリカには、イギリスからの移民が多いのでしょうが、それでも、違った国であるのは確かでしょう。アメリカの保守派の中には、イギリスの保守派との連携を考えている人もいるようですが、それが大勢かと言えば、そうではないようです。似たような文化があるとしても、国は国であるということでしょう。

 

もっとも、英米は、独立戦争とは違った戦争をしたことがあるようですが、それ以来、イギリスは、アメリカと無理に対立しないという見方もあるようです。国是、と呼んでいる、日本の英米派の人もいますが、仮にアメリカが覇権国家でなくなれば、「Special Relationship」にも変化が出て来るかもしれません。それが国でもあり、引いては、人間の影とも見てしまいますが、少なくとも、日本とは、「Special Partner」にはなれるかもしれませんが、「Special Relationship」は、無理かもしれません。(^o^)

 

とにかく、サッチャーに対する評価は、おそらく先進国においては、悪いことばかりではないでしょう。もっとも、それは、冷戦に関することであり、金融ビッグバンとフォークランド紛争については、BBCの中でも話題にしていましたが、今でも、「Controversial」ではないでしょうか? どちらも、日本に無関係とはいえず、金と領土という、欲望と直結しているようなものです。国も人の集まりであるからには、たとえ幻想が源でも、致し方のない面もあるでしょう。こういう利己心を持つこともまた、人の常であり、国益も、結局は、そういう利己心と関係することは、言うまでもないかもしれません。ただし、利己心ばかりでは、有益さが生まれないこともまた、市場経済のメリットでもあると思います。

 

けれども、サッチャーについての国際的評価に比べれば、内政的評価には、今でも怨み節のようなものもあるようです。特に炭鉱や組合関係者には、彼女につぶされた、という思いが強いようです。BBCの追悼特集でも、炭鉱関係者が出演し、彼女がすべてを奪ったようなことを話していました。わたしは、つい、亡くなったばかりなのに、と思いましたが、これもまた、日本人ならではでしょうか?

 

 しかし、政治家という者は、自身が行ったことの評価を後世まで引きずるものでしょう。死後に批判される場合もあれば、死後に評価が上がるケースもあります。あるいは、時代が変わり、かつての悪人が英雄に祭り上げられることもあります。歴史は決して一直線ではなく、紆余曲折しながら、前に進むものと思います。興味深いもとして、ロシアの若者がスターリンを評価していると、BBCのニュースで知りました。元社会主義国なのに、と思いましたが、元なので、直線の歴史でなくても問題ないのでしょう。

 

上記のように、サッチャーに対する評価は、国際的なものと国内的なものでは、全く異なった点もあり、おそらく今後しばらくの間は、「Controversial」であるようにも思います。仮にイギリスの人々が何かの拍子で、今とは異なるようなことになれば、高評価ばかりになる可能性もあるかもしれません。それには、民主主義の先進国でもあるイギリスに言うのも何ですが、自由とは何か、という少なくとも近代から続いている問題を、どう見るかということかもしれません。

 

先でもお話していますが、サッチャーは、わたしが、少年から青年期に掛かる頃に、イギリスの首相として、一時代を築きました。テレビの影響があったとはいえ、自分なりの記憶を持っている、他国の政治家です。世界でも知られ、歴史に名を刻んだことは、間違いのないことでしょう。そうであるからこそ、わたしのような一介の外国人でも、彼女の死に驚き、時代の流れを感じ、自分もまた、年齢を重ねていることを実感しました。こんな感慨があるからこそ、こんなサイトで、珍しく政治を取り上げた拙い記事を書いているのでしょう。

 

BBCでは、葬儀の模様を生中継していました。わたしは、BBCワールドニュースで視聴しましたが、キリスト教式の荘厳な感じにエキゾチックな思いを抱き、同時に、どこか寂しさも感じました。決して知り合いではないので、サッチャーに対する特別な思いはありません。けれども、先で触れたように、時代の流れに対する感覚なのでしょう。リアルタイムで知っている有名人の死の知らせにも、似たようなものを感じてしまいます。やはり、歴史は進んでいるということでしょうが、同時に、記憶という内心では、永遠にストップしたものがあり、これもまた、不思議な感覚でもあります。こんなことを思ってしまうのも、晶子(池田)姉さんに大いに影響されていると、正直に認めています。(^o^) 

 

なお、サッチャーに関するドキュメンタリーは、BBCでも数多く放送されています。わたしは、BBC iPlayerで、時間がある時にゆっくり視聴しようと思っています。また、BBCのサイトでは、過去の映像を集めたアーカイブコンテンツがあります。UKサーバに接続していれば、視聴することができます。もちろん、わたしが加入しているHideIP VPNibVPNなどを利用すれば、問題なく再生できます。

 

- BBC ARCHIVE
- Margaret Thatcher

 

そういえば、サッチャー死去後にも、BBCニュースとBBCワールドニュースが、しばらく合同で放送していました。わたしの記憶では、半日程続いていたようですが、大きなニュースがあると、こういう体制を取るようです。視聴したものでは、カダフィ拘束とボストンマラソン爆破事件です。どちらも、ホームページでも、、視聴することができ、これは、お決まりのことなのでしょう。最近は、だんだん慣れてきたのか、BBCもマスコミだな、と思うようになり、免疫ができてきたようです。少々眉唾に感じるものもあり、そういう時は、ない頭で考えるようにし、心の中で保留状態を作っています。(^o^)

 

しかし、放送と通信の融合からすれば、どこかの国の公共放送よりは、BBCの方が、先に進んでいることは間違いありません。これでも、既存メディアの衰退として、BBCが論じられることもあるようです。だったら、どこかの国の公共放送は滅亡じゃないか、と思うこともあります。最近は、ある一部のグループからねつ造番組と指摘され、裁判沙汰にもなっています。これに関しては、訴えた方を支持したくなりますが、一体、公共とは何なのかを、もう一度見直すべきでしょう。

 

特に、どこかの国の公共放送は、ニュース番組でも、オンデマンドで金を取り、ニュース価値と公共性をどう考えているのか、回答して欲しいと思うこともあります。著作権の問題があるのでしょうが、下らない番組を作ってばかりいて何がコピーライトだ、と横暴なことも思いますが、そういうものをオンデマンドで購入することはないので、関係ないと言えば、関係ありません。

 

なお、サッチャーの死去については、下記に参照サイトを掲載しておきます。チャーチル以来の国葬でもあり、やはり、歴史的な出来事に変わりはないでしょう。わたしの祖父が壮年期の頃は、イギリスと言えば敵国であり、時の首相はチャーチルです。その孫が少年から青年期に至る頃、少なくとも、日本は経済でイギリスを追い抜き、時の首相がサッチャーです。チャーチルもサッチャーも、歴史に名を刻んだイギリスの首相であることに間違いはなく、祖父と孫の間で、歴史の皮肉さのようなものを感じてもいます。その祖父は、20世紀末に亡くなり、今は南相馬市の墓で、静かに眠っています。

 

非常に長くなりました。今回もまとまりのない文章で、あまり役立つようなことはなかったと思います。けれども、ここまでお読みいただけましたら、誠にうれしい限りです。次回もまた、よろしくお願いします。

 

サッチャー死去に伴う参照サイト

- Margaret Thatcher: Queen leads mourners at funeral (BBC)
- Margaret Thatcher (BBC HISTORY)
- 世界の企業経営者が最も尊敬するリーダーはチャーチル元英首相(AFP)

 
 

 



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