鎮魂ト約束と

72年目ノ8月15日。

 

多弁ハイラヌ。喧騒モイラヌ。手段ハ違エド目的ハ同ジ。

 

鎮魂ノ祈リ、我ハ同意スル。沖津那奈ブログ – 終戦記念日

 

加へテ、我ノ心ニ賢治ノ言葉モ呼応スル。

 

すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

 みんなのおのおののなかのすべてですから (青空文庫-宮沢賢治「春と修羅」より)
 
 

そして、72年の中には、わたし個人の33年がある。

 

ようやく仏になった。その時には赴くと約束した。それを果たした。自己満足でも果たせた。

 

だが、止むことはない。止めることもない。わたしが行くまで、終わることはない。

 

8月15日。

 

毎年やって来る、鎮魂の日。

 

 

久しぶりに巡って来たナナ馬券 SPAT4のお得なポイント賞 大井競馬

一昨日(2017年8月13日)、大井競馬で「SPAT4のお得なポイント賞in大井」が行われた。第9回4日目のメインレースであり、当初どうしようかと思ったが、思い切って投票した。一昨日は日曜であり、JRA開催もあった。昼はJRA、夜は大井競馬は年に何度か実施されるが、まさに昨日がそうだった。

 

しかし、わたしが投票した「SPAT4のお得なポイント賞in大井」は、それほど注目されたレースではない。13日に行われた「黒潮盃(SII)」に比べれば、あまり知られていないレースだ。そうは言っても、注目度が低いからこそ、投票しがいがある。結果から見れば、わたしにとっては喜ばしいことになった。

 

馬単、ワイド、複勝が的中し、久しぶりにプラスになった。ここ最近は完全外れが多く、スランプ状態だった。トリガミならまだ我慢できるが、スカ程キツイものはない。本業の方がそれなりにスムーズに行っているので我慢できたが、仮に競馬のみで生活費を稼いでいるのであれば、耐えられなかったろう。(笑)

 

とりわけ、4枠7番の馬が絡んできた時は、南関チャンネルを視聴しながらガッツポーズが出た。4番人気であったといえ、最終オッズのひと桁台が2頭のみであり、いわば2強のレースだった、4番人気なら伏兵に近く、しかも、しばらくぶりに馬単が的中し、うれしさが爆発してしまったことはお分かりいただけるだろう。

 

- 第9回  大井競馬 第4日 : SPAT4のお得なポイント賞in大井

 

しかも、4枠7番が絡んだと言えば、ナナ馬券である。このサイトでもすでに記事をアップしているが、これもまた長い間取ることができなかった。さらに、一昨日の南関チャンネル後半担当は、馬券名の由来であるオキナナ(沖津那奈)さんだった。由来者の担当で由来馬券を取ると共にプラスにもなった。喜びも一入だ。

 

競馬
- 2016年最後の大井競馬開催とナナ馬券

 

後半の放送自体も、大人っぽい感じがし、落ち着いた雰囲気があった。ニタニタした笑いではなくニコニコとした感じで、時折ニコッとすることでメリハリがあった。しかも、媚びたような笑いでなく自然な感じであり、爽やかな声と合致しているようだった。赤い衣装との感じもお似合いであり、安心しながら見れていられた。

 
 

 
 

こういう感じであるので、番組の終わり間近に、大井競馬場の食キャンペーンに参加したエピソードが、茶目っ気たっぷりに感じられ、好印象を受けた。伝わりにくい表現かもしれないが、落ち着いたトーンがあるからこそ、茶目っ気が和やかな雰囲気を醸し出す。番組の終わりには、最適であったように思う。

 

おそらくオキナナさんの担当回では、昨日の大井がもっとも良かったように思う。生意気な表現だが、当然と言えば当然である。しかし、落ち着いた感じであるのは、爽やかな声のトーンに合っている。個人的には、この調子で続けて欲しいと思う。それとともに、毎回ナナ馬券を的中できれば、大いに喜ばしいことだ。(笑)

 

ともあれ、一昨日は結果的に良い一日になった。自慢したいために、この記事をアップした訳ではないが、大井には地元浦和とは違った親近感がある。2013年のハイセイコー記念で助けられたという思いがあることも否定しないが、何かしら肩入れしたい気持ちが出て来る。南関の中で最も派手な感じがあり、そういう点は苦手だ。しかし、そんなことを気にさせない何かがあることも確かである。

 

イナリワン。

 

平成三強の一頭で、オグリワン、スーパークリークと共に第二次競馬ブームを牽引した。天皇賞、宝塚記念、有馬記念を制し、今でも勝利したシーン等を覚えている。当時、地方出身ということは知っていた。けれども、オグリキャップの笠松出身よりは、目立っていなかったと思う。

 

後年、イナリワンが大井出身だと分かり、関東育ちのわたしには、なんとも言えない気分になった。同時に、平成三強の中でもイナリワンが一番好きだった。おそらく大井出身の馬で中央で活躍したのは、ハイセイコー以来のことだったろう。去年まで存命であったことは驚きだったが、感慨深いものもあった。いつかまた、ハイセイコーやイナリワンの再来があることを期待している。

 

長くなった。しばらくぶりのプラスになり、つい饒舌になってしまった。次の機会でもこうありたい。次の時でもナナ馬券を取りたい。もちろん、オキナナさん担当の時である。一昨晩の酒が、いつもより美味かったことは、言うまでもないだろう。今回はこれまでである。

 
 

- SPAT4のお得なポイント賞in大井 -

参照(wiki) : イナリワン

 
 

 

ナナネクで再び巡り会えた 映画 レオン

一昨日(2017年4月17日)、ナナネク(沖津那奈さんナビゲートのAmanekチャンネル)を聞いていると、映画「レオン」の話が出た。オキナナ(沖津那奈)さんが最近観賞した作品であり、有名ながらも、これまで見たことがなかったとのことだ。ラストで大泣きしたとのことで、すでに知っていたわたしには、さもありなん、と思えた。

 

けれども、正直、「レオン」が出てきたことにビックリした。映画にちなんだコメントの後、「レオン」のエンディング・テーマが流れた。わたしの頭にラスト・シーンが浮かび、こんな巡り合わせがあるのか、と思った。

 

「レオン」には、個人的な思い入れがある。この映画を知らなかったら、わたしの人生も変わっていたかもしれない。1994年に公開されたが、当時映画に目覚めていた学生でありながらも、全く知らなかった。

 
 

 
 

後年、ある人から教えられ、レンタルビデオで鑑賞した後、悔しくなった。もちろん、いたく感動もし、教えてくれた人と語り合った。その頃はカーペット清掃のバイトで暮らしていたので、わたしが「クリーナー」のレオンで、その人が種々の問題を抱えるマチルダと、冗談交じりに話した。

 

そう、ある人とは、元妻のことである。「レオン」をきっかけに、より親密になり、一緒になった。生活を共にし始め、最初のわたしの誕生日にプレゼントをくれた。「レオン完全版」のビデオだった。DVDが出始めの頃で、デッキも対応ドライブもなかったため、そうなった。

 

しかし、結局は、築き上げた家庭が崩壊し、忘れてはいけないシコリが残った。元妻に対するものではない。仮に「レオン」がなかったら、あるいは、「レオン」を教えられなかったら、こういうシコリもなかったのでは、と思った。

 
 

 
 

家庭崩壊後、「レオン完全版」のビデオはあったが、わたしは見なかった。映画そのものへの否定からではない。先で述べたシコリへの悔恨であり、懺悔でもある。そうして、そのビデオは、家庭を築いた家から引っ越す時に捨ててしまった。

 

けれども、時の経過と共に、わたしの中でも少しずつ変化が出てきた。今年は節目であり、新しい一歩があると感じている。いや、すでに一歩を踏み出しているのかもしれない。もしくは、再生と回帰がすでに始まっているのかもしれない。

 

そんな時、オキナナさんの口から「レオン」が飛び出した。戸惑いもあったが、エンディング・テーマを聞き、もう一度見たくなった。ナナネク終了後、いつにするか、と思っていたが、配信中のNetflixが浮かんだ。善は急げ、とばかりに、夕食前に観賞した。

 
 

 
 

映画そのものに関しては、文句はない。監督がフランス人のリュック・ベッソンであり、アメリカが舞台でも全体的にヨーロッパの香がする。孤独であったレオンとマチルダが結びつき、それぞれの生き方に彩りが添えられた。レオンが「クリーナー」でもあるので、アクションも多々ある。しかし、物悲しいラブロマンス映画であることも、確かだろう。

 

鑑賞後、以前とほとんど変わらない感想だった。やはり、ラストとエンディングテーマの組み合わせは、素晴らしい。そして、マチルダの「リオ~ン」という叫び声、レオンの「マイ・モネー」という発音、いずれも初めて見た頃から印象に残っているものだ。

 

そうして、再び巡り会えたことに、わたしは喜びを感じた。一種のハードルを乗り越えられたようで、ホッとした。敢えて遠ざけて来たが、またも近づいた。いや、取り戻せた。恥ずかしさに涙腺も緩んだ。これもまた、運命のイタズラなのかもしれない。

 
 

 
 

わたしにとって、3月26日に続き、4月7日も大切である。そうなってから今年で15年目である。

 

一昨日は4月17日。

 

10日後に、こんなことが待っているとは思いもしなかった。これから「レオン」と再び向き合っていく。いや、以前よりも思い入れが強くなっているかもしれない。

 

そして、続けられる限り、ナナネクにも耳を傾けていくつもりだ。

 
 

付録 :

1990年代後半から2010年頃まで、プロバイダ提供の無料ホームページで、「蒼現(そうげん)」というサイトを運営していた。北野武監督作品も取り上げていたが、「レオン」もレビューをアップしていた。以下、字下げや改行などを修正し、参考までにこちらにも掲載しておく。拙文であるが、最後までお読みいただければ、幸いである。

 
 

リュック・ベッソンと初めて出会ったのは、この映画からだった。
上映後、数年経っていたので、正直、悔しさが伴った。
鑑賞後、わたしは、思った。

「封切られた時、映画を観始めていたのに、なんで知らなかったんだ」

しかし、出会った感動も忘れてはいない。

「ヨーロッパとハリウッドが、ほどよくミックスされた良質の映画」

こののち、リュック・ベッソンとは、しばらく付き合うことになる。
彼の映像感覚に、魅了されて行く。

 
 

レオンは、ヒット・マンである。イタリア系マフィアに属し、
優秀な掃除屋である。

ある日のこと。いつものように、ひと仕事終えると、アパートの隣室
に住むマチルダと出会う。マチルダは、孤独である。十二歳というのに、
煙草に手を出し、親からも見放されている。

マチルダが聞く。

 

「人生がつらいのは、子供の時だけ?」
「いいや。いつもさ」

 

同じ時、刑事のスタンが、マチルダの部屋に訪れていた。マチルダの
父親が、100%純粋な麻薬を10%盗んだのではないかというものだった。
父親は、拒絶したが、翌日の昼までに真犯人を見つけるようスタンに脅
される。

翌日、昼になっても、父親は、真犯人を見つけられない。スタンが拳
銃を撃ち込みながら、侵入してくる。その時、マチルダは、部屋にはい
なかった。レオンの使いで、牛乳を買いに行っていた。

戻ってくると、家族は、みな殺されていた。泣きながら、レオンの部
屋にやってくる。騒動をかぎつけていたレオンは、ドア越で隙見をして
いた。マチルダが、懇願する。レオンは迷ったが、静かにドアを開けた。

 

レオンとマチルダの逃避行が始まる。ホテルを転々としているうち、
いつしか心が通じ合うようになる。ヒットマンにとって、女は、魔物で
ある。レオンは、その境界線を破り始めた。ある日、マチルダが、見張
り警官の目を盗み、自宅に戻った。すると、スタンが現れた。マチルダ
が隠れた。

マチルダは、前妻の子供である。姉は、半分だけの血のつながりだが、
弟は、違った。父親や母親や姉のためではなく、その弟のために、復讐
心を覚え、単身、スタンのあとをつけた。

 

だが、あえなくスタンにつかまり、殺されるかけるところ、スタンの
仲間が、彼の右腕が殺されたことを報告する。

犯人は、レオン。
うちひしがれるスタンのいない間、レオンがスタンの事務所からマチ
ルダを救い出す。

スタンは、レオンのボス、トニーの店へ行く。イタリア系ヒットマン
の仕業と告げる。

スタンは、レオンたちのホテルを見つける。そして、部署の総力を挙
げ、レオンたちを捕まえようとする。

追い詰められたレオンたちは、マチルダだけ逃げ出す。通風孔にマチ
ルダを入れると、マチルダが拒否する。けれども、レオンが説得する。

 

「おれたちは、もう孤独じゃないんだ」

 

マチルダが、階下へ降りていく。
乗りこんで来た警官。

レオンは、倒れている警官になりすまし,部屋を抜け出す。単身、外に
出ようと地下へ降りていく。背後にスタンの姿が現れる。拳銃を撃ちこ
まれるレオン。倒れるレオン。しかし、スタンにあるプレゼントを渡す。

手榴弾の安全ピン。
レオンとともに、スタンが弾け飛んだ。

行き場のなくなった、マチルダ。レオンが言ったように、トニーの店に
行くが、一ヶ月毎に金を渡すことを約束され、追い返される。仕方なく、
孤児院に行き、真相を担当官に話す。

マチルダの手には、ひとつの鉢植えがある。孤児院の庭に埋める。それ
は、レオンの形見である。

 

「もう安心よ」
 

マチルダがつぶやいた。

 
 

 
 

エンデイング・テーマに、スティングの歌が使われている。わたしには、
とても印象深く感じられる。力の強さが詞にたくされ、しかし、最後にこ
ういう。

 

“That’s not the shapes of mine head.”
(それは、おれの方法ではない)

 

暴力に対する嫌悪の念が、この映画全体に貫かれている。孤独にならざ
るをえなかったふたりが、禁断と称する領域へ入り、お互いを深く知るよ
うになる。短く、あっけないふたりの生活だったが、それは永遠なる生な
のかもしれない。

マチルダは、レオンの残した植木を埋める。鉢の中ではない。庭という
大地の連なりへである。ようやく安らぎを得たレオン。皮肉にも、レオン
の現実の中では、ほんの一瞬だけだったのかもしれない。

 

そのほんの一瞬に、リュック・ベッソンの特徴があるように思う。リュ
ック・ベッソンの作品は、いくつか鑑賞している。その個別論を語るかど
うかは定かにしていないが、リュック・ベッソンには、ある連なりがある
ように思う。

「最後の闘い」「ニキータ」「サブウェイ」「フィフス・エレメント」。
どれも、“おとことおんな”ということが、深く刻まれている。そこに
リュック・ベッソンの期待と信仰が、潜んでいるのかもしれない。

 

レオンは、海から始まる。大西洋から徐々にニューヨークヘ近づき、
ビル街を経て、小さなトニーの店に行きつく。レオンの生きている環境が、
映像という視覚のみによって、われわれの目の前に現れてくる。

レオンは、特別な世界に生きている。
けれども、それは、われわれと遠く隔たったものではない。
われわれの“隣人”かもしれない。“プロフェッショナル”
と言われる特別な存在も、わたしたちと変わらぬちっぽけな存在なのである。

 

レオンは、生きた。十二分に生きた。悲劇と思えるかもしれないが、
しかし、レオンにとっては、幸せかもしれない。なぜなら、“おんなのた
めに、すべてを賭けて闘え”たのだから。

マチルダは、残されている。マチルダこそ、悲劇ではないのか? 確か
に、そう見えるかもしれない。しかし、マチルダもまた、幸せかもしれな
い。レオンはいない。けれども、マチルダの心には、ずっと生き残る。

マチルダは、生き続ける。しかし、その生の中には、“自分に賭けてくれ
たおとこ”が、いつまでもい続けられる。レオンを殺したのは、マチルダ
であろう。例えレオンが自分で望んだとしても、マチルダがいなければ、
レオンは死ななかった。いや、死んでたとしても、納得はできなかったか
もしれない。

レオンとマチルダ。リュック・ベッソンの“希望”がそこに見え隠れし
ているようである。

 

レオンを見終わった後、悔しさが出たといった。そして、同時に嬉しさ
もあったと言った。

周知の通り、リュック・ベッソンは、フランス人である。ヨーロッパの
土壌から、生まれている。ハリウッドというテレビ的映画に、ヨーロッパ
の香が漂い、程よいエンターテイメント性が感じられる。

レオンが最後に撃たれる場面。おそらく、従来のハリウッドであるなら、
レオンの見てる視線で、カメラを回さないだろう。インパクトの強い、
スタンが発砲するところを、直接撮るだろう。しかし、それをあえて隠し
たところに、こちらにこみ上げる感覚が、溢れでる。

 

能の狂言者、世阿弥は、その著の中で、
「秘すれば、花なり」 と言っている。

すべてを表現すればいいのではない。スキャンダル的にやるだけが、
伝えるのでもない。

隠すということの方が、相手に伝わったりする。
映画は、やはり映像。あくまで見るものである。

しかし、リュック・ベッソンも、この映画が華だったのだろうか?

「フィフス・エレメント」において、この表現を彼は壊してしまった。
破壊に対して、否定的な見解をとるつもりはないが、しかし、その破壊
の部分に、残念に思えるところがある。

わたしの鼻は、ヨーロッパを心地よく感じる。その匂いに、魅了される。
最近のリュック・ベッソンには、正直、期待外れが多い。

いづれにしろ、レオンは、良質の映画であると思う。ハリウッドとヨー
ロッパの合作が、融合文化に育ったいち日本人への、親近感をもたらした
のかもしれない。

 
 

 
 

 

色褪せない操り人形と鮮やかな海 北野武監督作品 ソナチネ

今週の月曜日(2017年2月27日)、ナナネク(沖津那奈さんナビゲートのAmanekチャンネル)を聞いていると、「何度も見たい映画」がお題に出された。わたしは、「東京物語」や「カリオストロの城」などをツイートした。けれども、番組後半で「ソナチネ」の話題が出てきた。

 

「ソナチネ」と言えば、1993年に公開された北野武監督作品である。ヤクザの村上が嫉妬心から組に追い詰められ、結局は組と対決することになる。全体的に緊張感が漂い、独特のリズムでストーリーが展開する。哀しげな旋律とともに、詩的な映像が見るものを魅了していく。生と死がいかに隣り合わせであることかを、この映画は感じさせてくれる。北野武のユニークなリアリズム映画と言えるかもしれない。

 
 

 
 

けれども、わたしは北野武監督作品と縁がなくなったと思っていた。十代後半から北野武監督作品に触れ、しばらくは、小津さんや黒澤監督に次ぐ、優れた映画監督であると思っていた。もちろん、コメディアンの部分も、幼い頃から知っている。しかし、それ以上に、わたしが文系人間と自覚し始めた時、彼が映画を撮り始めた。

 

どことなく親近感が湧いていたのだろう。

 
 

 
 
だが、彼の映画を見続けるうち、次第に暴力描写が嫌になった。これは彼の作品ばかりではない。知る限り、タランティーノが監督した「パルプ・フィクション」が人気を呼んで以降、映画やテレビあるいは小説も、「突発的な暴力」ばかりを取り上げるようになった。当初は、喜びはしないものの、リアルな描き方をするようになってきた、と思っていた。

 

けれども、そればかりになると、だんだん嫌気が差してくる。北野武監督作品にも、それが反映されている。痛さを表現するのは大切であろうが、そればかりであると、違ったものが欲しくなる。ファミリー映画やドラマばかりを見るようになったのも、そういうことが原因だ。そうして、北野武監督作品からは卒業だ、と思っていた。

 

だが、自分が甘かったかもしれない。ふと久石譲が制作した「ソナチネ」のCDアルバムを聞いてみたくなった。ピアノの小刻みな旋律が詩的な緊張感を醸し出してくる。ああ、おれはこの映画に夢中になっていたな、と思った。そうして、恥ずかしながら、涙が出てきた。

 
 

 
 

1993年と言えば、学生の頃だった。法律関連の講義に嫌気が差し、映画ばかりを見ていた。そんな時、北野武がバイク事故を起こした。「ソナチネ」は、事故直前に完成した映画である。自然と事故のことが反映される。生と死が色濃く出ていると感じることも、それが理由でもあるだろう。

 

また、「ソナチネ」は公開時に全く人気がなかった。あるテレビ番組で、明石家さんまが「映画館に入ったら、ソナチネ~」というギャグを言い、監督本人が苦笑していた。それだけ、商業的には失敗作であった。それも影響しているのだろう。レンタルビデオ化も早かったように思う。

 

記憶の限りで申し訳ないが、公開中止から1ヶ月程でレンタルビデオ店で借りられたと思う。すでに「その男、凶暴につき」や「あの夏、いいちばん静かな海」などで、監督北野武に注目していた。人気のない作品とはどういうものか、自分なりに鑑賞したくなり、早速借りてみた。

 

当時の感想を一言にすれば、素晴らしいである。さすが武だ、と思った。そうして、見終わった後、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。やはり、小津さんや黒澤監督に次ぐのが北野武であり、そんな人と同時代に生きている自分は幸せだ、と思った。以来、「ソナチネ」は、わたしから離れず、北野武監督作品の中でベストであると感じていた。

 

ベネチアを取った「HANA-BI」も、心を動かされた映画であるが、それでも「ソナチネ」が一番だった。「菊次郎の夏」や「Brother」などが公開されても、「ソナチネ」だった。取り憑かれている。そう、言われたこともある。それだけ、夢中になった映画であり、北野武は「ソナチネ」に尽きる、と考えていた。

 
 

 
 

そんな「ソナチネ」をもう一度見てみようと思った。しばらくぶりの鑑賞となるので、自分でもどう感じるのか分からなかった。結果はどうかと言えば、決して色褪せていない。緊張感漂う中に、時折訪れる暴力とギャクシーンが見るものを引きつける。独特の間合いを持ちながら、ストップシーンのように身動きの少ない人物などが映る。一見、無駄なようでいて、実はそれがつなぎでもある。緊張感をより醸し出してくれる。

 

また、初めて見た時から思っていたことは、小津さんのカメラアングルと非常に似ていることだ。これは、ヨーロッパなどでも指摘されているようで、本人もそう言われることは嬉しい、と述べていた。しかし、今回見返してみて思ったことは、微妙に小津さんとは違う。カメラアングルというよりは、人物の動かし方だ。

 

言い換えれば、小津さんは能のような人物の動かし方をするが、北野武監督は人形のように俳優を使っている。北野映画の人物は、だらりとし、生きているのかそうでないのか分からない感じがある。これは深作欣二の代役で撮った「その男凶暴につき」から変わっていないように思う。そして、今回その人形は、操り人形ではないかと思った。

 

彼の家庭が浄瑠璃と縁が深かったようで、それが影響しているのかもしれない。仮に「ソナチネ」で、登場人物たちに上から糸を垂らしてみれば、しっくり来るのではないだろうか? わたしが知る限り、「ソナチネ」以降の作品でも、そういう特徴があると思う。おそらく自分自身で自由に動かしたい、というのが本心であるかもしれない。

 

また、海が非常に際立っている。本人自身、沖縄が好きなようだが、それがそのまま映像に現れているように感じる。鮮やかな海と形容できるが、それは真っ青なものばかりでなく、灰色に淀んだ感じのものでも、同じように見てしまう。ここに「ソナチネ」がどういう映画であるのかを知る鍵があるかもしれない。

 

ただし、以前から変わっていない感想は、人の逆説性を見事に描いているということだ。セリフの中にも見て取れるものがあり、若い頃と同様、現在のわたしもこのセリフが忘れられない。

 

「あんまり死ぬの怖がるとさ、死にたくなっちゃうんだよ」

 
 

 
 

北野武監督自身が、団塊の世代であるので、実存主義に影響を受けているかもしれない。逆説性と実存主義と言えば、カミュを連想する。彼の書いた「異邦人」は、わたしにも多くのものを感じさせた。「ソナチネ」を初めて見た頃は、「異邦人」の衝撃が残っていた。結びつけることは、容易であったろう。

 

ともかく、公開から四半世紀近くが経ちながらも、「ソナチネ」は色褪せていない。良い映画というものは、時が経っても良いものである。やはり、「ソナチネ」は、北野映画の中でも傑作であり、ベストの作品と言えよう。もっとも、現段階のことである。今後、見返してみようと思っているが、「ソナチネ」を超える作品だ、と感じられるものが見つかる可能性はある。

 

ところで、非常に個人的なことになるが、今回「ソナチネ」を見返してみて、初めて涙がこぼれてきた。恥ずかしい限りであるが、諸々の事情で、約15年の間自分を閉じ込めていた。しかし、「ソナチネ」を見ながら、ああオレはようやく取り戻せた、と思った。もっと早くに、と思う自分もいるが、それだけの時間が掛ってしまったのは、必然的でもあるだろう。

 
 

 
 

おそらくこれで、北野映画とは「復縁」である(笑)。今後、見返した作品、あるいは、新しく視聴した作品が出てくれば、このサイトでレビューを挙げて行きたい。今回と同様、中身がないかもしれないが、最後までお読みいただければ幸いである。

 

なお、以下に、二つの付録を掲載しておく。こちらも合わせてお読みいただければと思っている。

 
 

付録-01 :

IMDBで「ソナチネ」のレビューを掲載されたことがある。1999年のことであり、随分時間が経っているが、今でもアクセスできる。拙い英文であるが、URLが次のようだ。

Sonatine – Author:shimu

 
 

付録-02 :

You Tubeの「隣の柴犬」というチャンネルに、音声レビューを加えることにした。第一回として「ソナチネ」を取り上げている。以下、埋め込みリンクであり、最後までお聞きいただければ、と思う。

 

 
 

付録-03 :

IMDBと時を同じくし、かつて運営していた「蒼現」というサイトに、「ソナチネ」のレビューをアップした。上記と重なる部分もあるだろうが、一部字下げと改行をし、全文転載しておく。合わせてお読みいただければ、誠にうれしい限りだ。

 
 

「ソナチネ」が上映されたのは、今から六年前、1993年である。わた
しが、まだ学生の時分で、映画をちょうど本格的に見出した頃だと思う。

 

北野映画は、「その男、凶暴につき」から鑑賞していたので、上映が
楽しみだった。しかし、映画館で見ようとしたら、すでに上映期間が終
了していた。のちのち聞いたところによると、わずか1ヶ月で打ち切られ
たとのことだ。

 

仕方ないとあきらめ、月日が経ち、忘れかけていた頃、
ふと、レンタルビデオ店に立ち寄ると、「ソナチネ」がビデオ化されて
いた。わたしは、すぐさま手に取り、カウンターに向かった。

 

詳細なストーリは、ここでは省略するが、ビートたけし演じる村川と
その仲間が、沖縄での抗争を止めに行く。次第に組の裏切りにはまり、
村川は、ある決断にいたってしまう。

 

良質の映画というのは、鑑賞後、言葉が出ないものである。悲し過ぎ
ると、涙も出ない、と同じように、あまりに心を打たれると、なにもす
ることができない。

 

今でも覚えているが、初めての鑑賞後は、自分がそこにいるのかいない
のかわからないような、そんな感覚に見まわれた。
それを“色”と名づけようが“空”と呼ぼうが、どうでもよい。ある宇
宙空間に放り出され、酔い心地の気分になったようだった。

 

北野映画は、全作品に通じて言えることだが、非常に美しい。ひとつ
ひとつのシーンに哀愁が漂い、セリフがなくても、見ているものに語り
かけているようである。映画は、あくまで、視覚に刺激を与えることか
ら成り立つ表現手段であるということを、北野映画は、つぶさにみせて
くれる。

 

「ソナチネ」に関して言えば、最後の最後、テロップが流れた後、浜
辺のシーンが現れる。

 

腐ったクーラーボックスに、群がる蟹。
静かな波音と、風に揺れるひまわり。
この物語は、このシーンでつきるのかもしれない。

 

わたしは、思っている。
北野武という監督は、映像詩人である、と。
寡黙を通し、多くを語らない。しかし、それだからこそ、多くのこと
を表しているのかもしれない。

 

生まれたのに、死ぬというこの矛盾を、北野監督ほど深くとらえ、映
像化に試みたものは、いないかもしれない。北野監督のプライベートな
事柄と映画との関係は、密接かもしれない。東京・明治記念館裏でのバ
イク事故前に、この映画は、完成している。

 

「ソナチネ」直後の映画は、それまでの北野映画を破壊するような
「みんな~やってるか!」を撮っている。けれども、わたしは、多くを
語りたくない。

 

文学の世界で言う、私小説作家のようであっても、わたしはそのことに、
言及することを望まない。

 

なぜなら、北野監督ならば、自ら望むのであれば、語らずとも
語るであろうから。

 

わたしは、「ソナチネ」をなんどとなく見ている。回数の問題ではない
が、わたしの中に、知らぬ間に住みついているかもしれない。

 

「あんた。取り憑かれてるよ」
連れ合いがわたしに言った言葉である。

 

「ソナチネ」は、奇妙な香りを持つ。迷い込んだら離れられない何ほど
かの、危うさを持っている。その危うさに、耐えられるだけの器量が自分
にあるのか、それはわからないが、「ソナチネ」との付き合いは、今後も
続いていくであろう。

 

村川が助けた人妻。村川が復讐を成し遂げ、隠れ家に戻ってくる。一本
の道の先には、お互いが通じあっている。青いドラム缶を載せたトラック
が走り過ぎる。

 

そのシーンに、われわれ日本人の心の奥に住みついている三途の川を連
想するのは、おかしなことだろうか。

 

子供を産む女の向こうには、別世界が広がっている。トラックは、小船
ではないだろうか。

 
 

 
 

 

あの頃を思い出した、ナナネクでのDeparturesとひだまりの詩

毎週月曜日の夕方は、ナナネク時間であり、毎回iPhoneで聞いている。ドライバー向けチャンネルとなっているが、基本的にヘッドホンを使い、自宅で耳を傾けている。本日も同じように、爽やかな声に聞き入った。

 

毎回テーマの決まった音楽も流れるが、今回は成人の日を記念し、1996年と97年のヒット曲が集められていた。約20年前の歌ばかりであり、特にJpopであれば、耳にしたものばかりだった。

 

そんな中でDeparturesとひだまりの詩が流れ、懐かしさと同時に、反省や悔悟など、いろんな場面や思いが出てきた。ナナネクと音楽のことについては、このサイトでも、取り上げたことがある。その時と似たような雰囲気になった。

 

- 日記の部屋
- ナナネクとクリスマスソングと安奈

 

わたしのようなシガナイ男でも、これまで生活し、それなりの出来事に遭っている。本日が成人の日なので、とりわけ年配者の中には、説教を垂れたい人もいるかもしれない。中には、真剣に聞く新成人もいるのだろう。

 

けれども、わたしのような者には、説教を垂れる資格はない。若い頃から先輩後輩関係が苦手であり、結局、そういうものと深く関わることなく、今日まで来ている。そのため、先輩として何かを述べるということは、得意ではなく、嫌いと言った方が正確である。

 

こういうことであるので、人生の先輩などと言って、胸を張ることはしたくないし、できもしない。せいぜい反面教師になる程度であろう。したがって、これまでの生き方を自慢するつもりもなく、むしろ、そんなことはできないと思う。

 

しかし、そんな輩であっても、過去というものがあり、それなりに生きて来た道のりがあり、それなりに経験してしまっている。ナナネクの中で、「Departures」と「ひだまりの詩」が鳴り響いた時、自然と約20年前の風景が蘇ってきた。

 

当時は大学を卒業し、諸々の事由で、人生初の一人暮らしを始めた。JR浦和駅近くの木造アパートの一室を借り、測量などの仕事をしていた。その頃は、バブル崩壊の煽りが大きく、戦後最大の就職難の時だった。現在は多少なりとも解消されたのかもしれないが、ロストジェネレーションの第一世代であることは確かだろう。

 

このため、学生時代から続けていたアルバイトで、生活をしていた。昼間は測量、夜は清掃の仕事をしていた。そこそこ月給がもらえたので、独身男のひとり暮らしには、十分であった。

 

そんな時、パソコン通信と出会った。通信機能付きのワープロを使ったこともある。モデムだけ購入し、ガーガーピーピー鳴らしていた。しかし、かなりハマってしまったのが、Togetherという会員制のパソコン通信である。

 

営業から電話があり、大宮の事務所まで赴き、契約した。はっきり覚えていなかったが、書店で何らかのアンケートに答え、それを元に連絡してきたようだ。今では加入することなど考えもしないことだが、ゴルフ会員権並の費用が掛かり、分割契約をした。

 

もし一般的なパソコン通信であれば、当時のわたしでも契約はしなかったろう。大いに興味を引かされたことがあり、そのキーワードが「出会い」だった。すでにWindows95が発売された頃であり、インターネットの薄明期である。情報革命が叫ばれ出している時であり、現在の通信事情の原型が整っていた時期とも言える。

 

しかし、通信が便利になっても、人との触れ合いが少なかったことも確かである。バーチャルリアリティが問題視され出した頃でもある。そういう時期だからこそ、実際に「出会える」パソコン通信には、大いに興味を持った。しかも、20代の独身男である。現在からすれば、甘かったの一言かもしれないが、冒険心が強かったことも確かだろう。

 

そうして、Togetherの中で、掲示板を利用したり、あるいは、フォーラムに参加した。「出会える」場としてTogetherのサロンがあり、実際にそこで会うことができ、友人もでき、飲み会なども行うようになった。そんな中に、ちょっと変わった人がいた。掲示板などでも面白いことを書いていたので、本人を見てみたい、と思っていた。

 

その人が、わたしの初婚相手となった。

 

ご多分に漏れず、一緒になった当初は、ウキウキ気分であったが、生活を共にすることは、利害関係も一緒になる。離れていた時のイメージと次第に異なって行ったことは、火を見るより明らかだった。結局、離婚することになったが、それもまた当然であろうと、今では思っている。

 

上記のように、ナナネクで「Departures」と「ひだまりの詩」が掛かり、当時の明と暗を思い出した。そして、今とは規模が比較にならないが、SNSのようなコミュニティサイトの酸いも甘いも経験し、忌避する気持ちがあることも確認した。ピントがボケているかもしれないが、便利さの裏返しとも言える怖さもあったのだろう。

 

そうは言いながらも、全てを否定するつもりはない。そうであったら、SNSのアカウントを作ったり、こんなサイトでこんなことも書いてはいないだろう。

 

ともあれ、本日のナナネクでは、「Departures」と「ひだまりの詩」が掛かり、新成人たちが誕生した頃を思い出してしまった。歌は人の琴線に触れることもあるが、旋律が大きな影響を与えているのかもしれない。また、同じように、人の声も、波長が合うことで、琴線を刺激するのかもしれない。

 

今週の土曜日にも、ナナネクがある。中央競馬前のリラックスの時間でもあるが、わたしにとっては、琴線との「出会い」の時間でもあるかもしれない。

 
 

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