一ヶ月遅れ、されど一ヶ月遅れの初詣 田島氷川神社

一昨日(2017年2月1日)、犬の散歩を中止し、地元の田島氷川神社へ赴いた。毎年、時期外れの初詣をしているが、今年は少し早めようと一昨日の晩に思い立った。それでも、一ヶ月遅れであるので、カミガミはあまりお喜びになられないかもしれない。(笑)

 

しかし、行かないよりは行った方が、どこか心が落ち着く。わたしは、神道の氏子ではないが、母方の実家が神道であり、かつて家族を営んでいた者も神道であった。なおかつ、わたし自身も日本から出たことがないので、自然と神道に親しみを持ってしまう。これもまた、経験のなせる技かもしれない。

 

ともあれ、思い立ったが吉日である。強い北風が吹く中、桜区の自宅を一人で出た。

 

風が強いながらも、空には冬の星々がきらめいていた。鴨川用水路という生活排水路の沿道を東へ向かった。夜10時過ぎになれば、ほとんど人を見かけない。田島氷川神社の側まで来れば、ようやくポツリポツリと人影を見かける。

 

昨夜も同じだった。

 

けれども、鴨川用水路の沿道は、桜並木の散歩道でもある。子供の頃から慣れ親しんでいた。現在の地域には、わたしが小学校6年生の時に越して来た。一度実家を出ながらも、今では出戻りの身である。それまでにも、自分なりに色々なことがあった。

 

初詣へ向かっている間にも、わたしの脳裏がざわついた。

 

散歩道に沿うように西浦和霊園がある。実は、その一角に、わたしにも関連したお墓がある。購入する際、チラシを見せられ、ビックリしたことを覚えている。場所が場所だけに、一度見学しただけで、すぐに決めたところだ。完成した時、おれはこの地域に戻らない、と誓っていたが、見事裏切ってしまった。自分を恨めしく思う。ダラシのない人間は、一生ダラシがないのだろうか?

 

それは自分自身が答えとなるかもしれない。

 

桜区に戻るまでは、北浦和に住んでいた。田島氷川神社へ向かうということは、自分の過去にかえることでもある。しかし、単なる過去ではなく、過去の一点では未来への道のりだった。それが再び巡って来るのか、再び遠く離れてしまうのか、どうなるのか? こんなことも思ってしまった。

 

ビュウビュウ風が吹いていた。新大宮バイパスの歩道橋を渡り、マンションを過ぎ、交差点を超え、田島氷川神社の裏手に出た。子供用の遊具が目に入り、公園が現れた。いよいよ近くだ、と思い、正直、胸が高ぶる感じがした。同時に、ようやくだ、という思いも湧いてきた。

 

 

一ヶ月遅れ、されど一ヶ月遅れ。桜区に舞い戻ってきてから、最も早い初詣である。

 

公園を回るように進むと、小川があり、左手に社務所が見える。明かりが点いていたが、立入禁止ではないため、参道から堂々と入った。社殿の前に来た時、財布からお賽銭を取り出した。夜中であるので、鐘はないが、神道式の儀礼を行った。

 

二礼二拍一礼。氏子ではないわたしでも、少しは身についているのかもしれない。次に、社殿近くの英霊之碑にも行った。同じように、二礼二拍一礼。心なしか、碑の背後の木々が鳴いているように感じた。

 

来た道を戻った。ああ、よかったよかった、と胸を撫で下ろした。

 

勘違いかもしれないが、ビュウビュウ吹いていた風が少し止んだように感じた。心のあり方で周囲も変わってゆく。道すがら、わたしは思っていた。そうして、こんなことも浮かんで来た。

 

「桜の時期になったら、前のように調神社へも行こう」

 

今年はわたしにとって、何かしら扉が開かれてくれればいい。そう、期待を込めながら、家路についていた。

 

 

 



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