過去の自分と御対面 小田和正 アーティスト・セレクション

現在、Amanekチャンネルのアーティスト・セレクションで、小田和正が取り上げられている。今月(2017年2月)から開始された特集のようで、本放送が毎週金曜日の10時から11時、再放送が毎週土曜日16時から17時と日曜日19時から20時である。生活環境から、わたしは土日の再放送になるが、小田和正なので、とりあえず毎週聞いている。

 
 

- Amanekチャンネル (放送スケジュール、聴取方法あり) 

 
 

わたしにとって、小田和正と言えば、「眠れる夜」である。オフコース時代の代表曲であり、かつてはカラオケでも良く歌っていた。また、「Yes-No」も個人的に印象に残っている歌だ。カラオケ用にひっそり自宅で練習したが、お披露目することはなかった。今のような自宅勤務となって、一体実現するのか否かは分からない。もう練習もしていないので、声も出ないであろう。

 
 

– Uta-Net動画+
オフコース Yes-No

 
 

けれども、小田和正がお気に入りの歌手かと言えば、正直、そうではない。好きな歌手は誰かと聞かれれば、迷わず島津亜矢と答える。そうは言っても、アーティスト・セレクションに耳を傾けているのは、良きにつけ悪しきにつけ、思い出があるからだ。

 

たとえば、先の「眠れぬ夜」については、初めて歌ったのが小学生の時だ。当時は、自己顕示欲が強く、何かと目立ちたがり屋だった。そんな時、ある民放局が放映していた、のど自慢小学生大会の予選があった。

 

自宅で歌手のフリマネなどを母に見せていたので、そのノリで応募した。けれども、何の曲にするか困っていた。すると、長兄が「眠れぬ夜」を勧めて来た。長兄はすでに高校生で、オフコース真っ只中の年頃だった。初めて聞いた時、歌えるかなあ、と思った。しかし、タイミングよく、西城秀樹が「眠れぬ夜」のカヴァーをリリースしていた。

 
 

※ 
上記と全く同じレコードで練習。
捨てた記憶はないが、押入れ深くに沈んでいると思う。

 
 

西城秀樹バージョンであれば、テレビで見ていたので、これなら行けるかも、と子供ながらに思った。長兄の指導で自宅で練習し、太鼓判をもらった。そうして、いざ母に連れられ本番に向かったが、全くダメだった。仮に通っていたら、ここでこんな記事を書いていないかもしれない。しかし、歌の神様は、わたしとは縁遠かったのだろう。子供であっても、ダメだこりゃ!!、と思った。(笑)

 

今でもはっきり覚えているが、ピアノの前に立たされ、ではどうぞ、と司会者の掛け声で前奏が始まった。声を出さなけりゃ、と思ったが、出て来なかった。足は震えていなかったが、歌詞が全然浮かんで来なかった。生まれて初めて、頭が真っ白くなる経験をした。

 

予選は、港区のスタジオで行われ、母と共に帰路についた。坂道を下りながら、声量があっても調子が合わず、歌手を諦めた父と同じ、と言われ、二度とのど自慢予選には出ないと誓った。当然、そのまま成長して来た。けれども、どこかで悔しい思いがあったのかもしれない。カラオケに行くと、決まって「眠れぬ夜」を歌っていた。西城秀樹ではなく、オフコース・バージョンである。上手いのか下手なのか、自分ではよく分からないが、少なくとも歌詞を忘れてしまう心配はなかった。(笑)

 

また、振り返ると、予選の時の「眠れぬ夜」は、オフコース・バージョンだったかもしれない。わたしは、西城秀樹バージョンで練習していたので、ピアノの音を聞いた時、あれおかしい、と子供ながらに感じたことも確かだ。こうなると、予選落ちは、半分は長兄のせいかもしれないが、今更文句を言うつもりもない。(^o^)

 
 

– Uta-Net動画+
オフコース 眠れぬ夜

 



 

また、小田和正と言えば、多くの人が「ラブストーリーは突然に」を思い浮かべるだろう。わたしもそうであるが、大ヒットとなった当時、さんざん耳にした。望むと望まざるとに関わらず、聞かされてしまったという思いが強かったため、嫌いな曲の一つになった。またかまたかと、実に飽々した記憶がある。

 

けれども、時が経過した今、アーティスト・セレクションで聞いた時、実に懐かしい感じがした。ついつい口ずさんでしまい、ついついツイートしてしまった。わたしもまた、人の子である。

 

「ラブストーリーは突然に」がリリースされた年は、1991年であり、長い浪人生活を経て、ようやく学生となった時だ。何事も吸収できるという慢心があり、浮かれてもいた。反抗期ではなくても、つまらない自信による反発心が強かった。だからこそ、飽々した度合いも深かった。

 

仮に今、新曲で「ラブストーリーは突然に」が出て来たならば、わたしはどうだろうか? おそらく、ああ小田和正らしい曲だ、と思うかもしれない。それだけ、少しは心に余裕ができたことと同時に、時間というものの残酷さと優しさをも感じてしまう。

 

さらに、1991年はバブル経済が崩壊した時でもあり、かなりの影響が出て来たのは数年後だった。まだまだバブルの余韻を引きずってもいた。失われた20年のきっかけを与え、現在でも影響がないとは言えない。そんな時の曲であり、なおさら嫌な感じが残ってしまったのは、否定できないだろう。

 

そう言えば、バブルと聞くと、お立ち台を思い出す。ワンレン・ボディコンの時代であり、軽さが世を席巻していた。そういう時代の雰囲気を高校生の頃にモロに感じてしまった。あまり好きではなかった時であり、それの影響が軽さの世の中を毛嫌いしていた。これに関しては、今でも変わらない面がある。かといって、重いことばかりも心が疲れるだけだ。

 

綺麗事になるだろうが、軽すぎることも重たすぎることも、あまり良い影響はないと思う。祖父が残した「いい加減が良い加減」である。しかし、時に過剰に走ってしまうのが、人の性かもしれない。理由は色々あるにせよ、バブルもまた、そういう過剰の性が引き起こしたとも言えるだろう。

 
 

– Uta-Net動画+
小田和正 ラブストーリーは突然に

 
 

ともあれ、小田和正の曲には、過去の自分と対面させられる。

 

アーティスト・セレクションを聞きながら、彼が毎年行っているクリスマス・コンサートも、思い出した。わたしは、何度かテレビで視聴したことがある。一時期恒例行事のようになり、必ず一緒に見る人がいた。けれども、数年の習慣で終わってしまった。側にいた人に対しては、心残りはないが、そういう過去の一場面が自然と出てしまう。歌というものの力を改めて思い知らされている。ニーチェは、クラシック音楽と人の関係を説いていたが、それはジャンル云々ではなく、音と人の深い関連であるのかもしれない。

 

聞き学問であるが、胎児は母親のお腹の中で、母胎の音を聞きながら、育っているようだ。胎教という言葉もあり、生まれた時点から胎児は周囲に耳を傾け、音を聞いているのだろう。これは聴力のあるなしなのではなく、生に関わることかもしれない。人に限らず、動物にも当てはまることであるように思う。

 

少々話がずれてしまったが、小田和正のアーティスト・セレクションは、これを書いている時点で、あと二週分ある。これからどんな曲が出てくるのか? わたしは耳を傾ける予定であるが、楽しみであると共に、悲しみもある。これもまた、縁であると言えば、的はずれな言葉になるだろうか?