忘れられないアイネスフウジンとナカノコール

約20年の休止期間から復帰後、数ヶ月して騎手コールを耳にしました。すでにG1戦後のお馴染みの光景であり、勝利馬がウィナーズサークルへ向かう途中、特に正面スタンド前で観客から勝利騎手の名が連呼されることです。皆さんの中にも、もしかしたら輪の中に参加したことがある人もいるかもしれません。

 

しかし、勝利騎手の連呼は、第二次競馬ブームの頃から始まりました。当時は、新人類という言葉も死語ではなく、新しい若者たちを象徴していると解されていました。かつての競馬では考えられないようなことが起こり、その一つが若者たちを中心とした勝利騎手の名を連呼することです。

 

わたしが幼い頃、テレビでたまたま競馬を見たことがありますが、連呼は元より、ゴール後に騎手がガッツポーズすることもなかったと思います。要するに、勝利パフォーマンスがなく、淡々とゴールラインを駆け抜ける、というのが勝利騎手のあり方のようだったと思います。しかし、知る限り、連呼もパフォーマンスも、第二次競馬ブームの頃が始まりであり、武豊や横山典宏などが草分けでしょう。おそらく競馬のメジャー化とレジャー化の始まりの時代でもあったと思います。

 

いずれにせよ、今ではG1戦勝利騎手の名を連呼することは、当たり前のようになっていますが、初めて行われたのが「ナカノコール」でした。1990年の日本ダービーでアイネスフウジンが勝利し、騎手であった中野栄治を称えるもので、自然発生的であったと思います。以前は、期待された騎手でありながらも、プライベートでの事故などが転機となり、勝利から遠ざかっていました。

 

そんな時にアイネスフウジンと出会い、生涯初のダービージョッキーとなりました。苦労人の姿が、アイネスフウジンの走りと重なり、記憶に残るレースとなりました。もっとも、当時のレコードを1秒更新したレースでもあり、記憶ばかりでなく、記録にも残るレースともなっています。

 
 

わたしは、当時自宅でテレビ観戦しました。投票もしていたので、スタートまでなんとも言えない緊張感がありました。1番人気がメジロライアン、2番人気がハクタイセイ、3番人気がアイネスフウジンでした。スタートが切られると、脚質通り、じわりじわりとアイネスフウジンが先頭に踊り出ました。縦長の展開となり、アイネスフウジンだけが続き、飛び抜けたような感じでした。第一コーナーから第二コーナー、さらに第三コーナーに差し掛かり始めた時です。騎乗の中野栄治がチラリと後ろを見ました。非常に印象に残り、しかも、わたしの中に直感も走り、これで大丈夫だ、と思いました。そうして、第四コーナーを過ぎると、東京競馬場の長い直線勝負となりました。

 

アイネスフウジンが逃げる展開に変わりはありませんでしたが、後続に変化が出て来ました。後方から一気の足で追ってくる馬がありました。メジロライアンでした。後年、グリーンチャンネルで放送された栄光の名馬たち/セレクションで見返すと、実況アナウンサーの言葉をすぐに覚えてしまいました。

 

「赤い帽子がただ一騎、メジロライアンが突っ込んで来て」

 

リアルタイムの時は、地上波で見ていたため、この言葉を聞いた覚えがありません。中年オヤジでありながらも、まだまだ印象に残る言葉などを覚えられるのかもしれません(笑)。特に、赤い帽子がただ一騎、というフレーズは、頭の中にこびり付きました。

 

この当時までは、幼い時と同様、自然な感じで、競馬中継を熱く実況できるアナウンサーがまだ健在だったように思います。現在は、自然ではなく無理に熱くしているような感じがし、記憶に残るような言葉もなく、聞いていて疎ましくなることが多々あります。ただ煽るだけで、返って何も伝わらないというのが、実状でしょう。実況とは何か?、ともっと問いかけて欲しいですが、レースよりも結果を期待するのが多くの競馬ファンであれば、実況は二の次なのかもしれません。

 

ともあれ、直線勝負となり、アイネスフウジンが捉えられるか否かという展開になりました。結局、アイネスフウジンの二の足が衰えず、先頭でゴールラインを駆け抜け、見事日本ダービーの栄冠に輝きました。そうして、先述しているように、ウィナーズサークルに向かう途中、正面スタンド付近でナカノコールが沸き起こりました。

 
 

日本ダービー勝利の後、アイネスフウジンは、菊花賞への出走が期待されました。皐月賞では2着という結果であり、2冠を狙うか否かが話題になっていました。しかし、故障が発生してしまい、菊花賞への出走はもちろん、競走馬生活を断念することになりました。種牡馬になってからは東京大賞典を勝利したファストフレンドなどを輩出しましたが、2004年4月に17歳で生涯を終えました。

 

競走馬としては、非常に短く、生涯のレース数は8戦のみです。朝日杯3歳ステークスや共同通信杯の勝利もありますが、結果的には、1990年の日本ダービーを勝つために生まれて来たようなものです。フウジンとは風神であり、字義通り、風のカミになります。その名に見合ったように、風のように現われ、風のように去って行きました。だからこそ、わたしのような者には、まだまだ競馬初心者でもあったため、心に残り、今でも忘れられない競走馬の一頭となっています。

 

参考 : 

・ JBIS Search : アイネスフウジン

・ JRA 競馬コラム : 1990(平成2)年 日本ダービー アイネスフウジン

 

 

 



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