賭けるだけが競馬ではない

一時期競馬から離れていたことがありました。始めてから数年が経過し、なかなか的中せず、虚しさを感じたていことが、原因の一つです。もっとも、20代前半でもあったので、競馬以外のことに夢中になったことも止めてしまった理由に入ります。

 

また、当時一緒に競馬をしていた人が、押しつけがましくなり、嫌気が差したことも確かです。今では、ネット経由でしか投票せず、しかも、一人で検討しているので、おそらく的中率は、かつてよりは数段上がっていると思います。実に皮肉な結果ですが、わたしのような者には、そういう方が性に合っているのでしょう。(笑)

 
 

ともあれ、一旦競馬を離れてから約20年で復帰し、当初は困惑してばかりでした。たとえば、馬名がすんなり頭に入りませんでした。40過ぎの中年オヤジということも原因でしょうが、わたしが若い頃は、横文字を使うと言っても、英語が主であったと思います。オグリキャップ、イナリワン、スーパークリークなどが典型的でしょう。せいぜいシンボリルドルフにドイツ語が入っている程度ですが、ルドルフはドイツ皇帝の名前であり、世界史を少しでも囓っていれば、それ程違和感はないと思います。

 

しかし、今では、英語ばかりでなく、フランス語やイタリア語なども使われています。初めてジェンティルドンナの名を見た時、なんだこりゃ、と思ってしまいました(笑)。そのうち、中国語のようなアジア言語も使用されるかもしれませんが、良し悪しがあることは確かでしょう。そうは言っても、次第に慣れて来るもので、先述したジェンティルドンナについては、忘れられない一頭にもなっています。

 

また、騎手が変わったことにも困惑しました。たとえば、武豊や横山典宏、さらに柴田善臣などは、若手の類いでした。けれども、今ではベテランとなり、柴田善臣は中央競馬の最高齢騎手となっています。さらに、トウカイテイオーの主戦騎手だった安田隆行、ナリタブライアンの南井克己がすでに引退し、調教師となっていました。出馬表の調教師の欄で、二人の名前を見た時、違和感を覚えました。これもまた時代の流れであり、やはり、20年という月日は長いものかもしれません。(笑)

 

さらに、わたしが困ってしまったことは、投票券の種類が増えたことです。単勝、複勝、枠連が伝統的な投票券であり、わたしが競馬に興味を持ったあたりで、馬連が加わり、以後、ワイド、三連複、三連単が導入されました。かいつまんでいえば、競輪や競艇などに使われている投票券の種類が、競馬でも採用されたということでしょう。

 

競馬を始めたばかりの頃には、まだ馬連に新鮮さがありました。今でも、プレクラスニーが勝利した秋の天皇賞は、馬連ならではの結果であり、当時スポーツ新聞などで大きく取り上げられたことを覚えています。しかし、現在では、馬連の新鮮さはなくなっているかもしれません。そういうことも関係あるのでしょうか? 中央競馬では、時折馬連UPキャンペーンを行っています。記憶の中では最終レースで実施されることが多く、勝馬投票券に5%上乗せされるようになっています。オッズ次第では、かなりの金額となるでしょう。

 

以上 約20年ぶりに競馬に復帰した際の戸惑いについて、自分なりの感想を述べて来ました。復帰から約3年半になるので、すでに戸惑いは消えています。特に投票券の種類については、困惑することもなく、予想後にどれにするか決めるようにしています。しかし、全く外れてしまうのが大嫌いなので、できるだけ的中率を高めようと、複勝とワイドを中心に投票券を決めています。

 

それではギャンブルの面白さが薄れる!!

 

とお思いになる人もいることでしょう。確かに競馬の楽しさは、射幸心の解消にもあり、当たるも八卦当たらぬも八卦、当たるなら大きく当てたい、と思うのが当たり前かもしれません。けれども、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、競馬には、それ以外のものもあるように思います。わたしのような生粋の浦和っ子で、都会っ子でもある者には、馬が走る姿を目にできるのは、競馬のみです。400キロ以上もある巨体が蹄の音を立てながらターフを駆け抜ける姿に、人にはないスピード感とダイナミックさがあるのは、確かでしょう。

 
 

今ではネット投票が主であり、テレビあるいはネット中継で、競馬を見ていますが、若い時には、府中競馬場や中山競馬場、あるいは、福島競馬場や地元の浦和競馬場にも行ったことがあります。友人に誘われ、大井競馬場にも出掛けたことがあり、モノレールの側に馬房車が止まっていたのには、少々驚いてしまいました(笑)。また、浦和競馬場では、馬を間近に目にすることができ、パドックもこじんまりとしているため、すぐ目の前に馬を見ることができます。もっとも、独特の匂いについては、正直言わずもがなの心境になりますが(笑)、それでも、馬を目の前で見ることができるのは、ペットと暮らしていることとはまた違った動物との触れあいにも思います。

 

しかし、海外では虐待防止の一環で、ムチを叩く回数を制限している国があり、なおかつ、競走馬の引退後のあり方についても種々の議論があります。競馬に動物との触れあいばかりを求める事は、やはり、綺麗事でもあり、様々な問題があることも確かでしょう。

 

そうは言っても、馬が駆けている爽快感、そこに勝利馬券が加われば、さらに喜びが増します。後者は運もありますが、馬の走りは確実に目にすることができます。自分が投票していなくても、ただ見ているだけで楽しめるレースもあります。わたしの中では、トウカイテイオーが勝利したジャパンカップがその一つであり、最後の叩き合いは、今でも見応えがあると思っています。

 

 

仮にギャンブルとしてしか競馬を見ないのであれば、こういうサイトも公開しなかったかもしれません。ファンには、失礼かもしれませんが、人のみが行っている競輪や競艇などにはない魅力が、競馬にはあると思っています。さらに、大きく見れば、競馬に参加することで、日本の家畜業に何らかの貢献をしているのかもしれません。わたしが知る限り、馬はもちろん家畜を支える団体の中に、必ずと言っていい程、日本中央競馬会の名が出て来ます。大東亜(太平洋)戦争前には、軍馬養成の一助を担っていたようですが、軍馬が不必要になった戦後では、家畜を支えることで、日本の様々な文化面などに寄与している面もあるのでしょう。これは、グリーンチャンネルで放映されている、いくつかの番組においても感じられることです。

 

いずれにせよ、競馬にはギャンブルだけではない魅力があると思います。中央競馬でも地方競馬でも同様です。歌と同じように、時代を表わすとともに、人生をも投影し、感情移入が強くなってしまうように思います。それはなにより、動物である馬が走るからでしょう。人馬一体という言葉があり、なおかつ、馬頭観音や馬との異類婚姻談などもあり、日本でも古くから馬と人が関わり合っています。科学が発達した現代では、馬を使った農耕などは、廃れていくのでしょうが、それでも過去の人々が築いたものを守っていこうとする意思が消えることはないのかもしれません。それを伝統と呼ぶのであれば、競馬は、日本の馬事文化の伝統を支えている一面もあると思います。だからと言って、何から何まで競馬を肯定するつもりはありませんが、過去、現在、そして、未来をも感じてしまうのが、わたしにとっての競馬でもあるようです。

 

長くなりました。綺麗事ばかりに聞こえる人もいるでしょうが、できるだけ、自分の思いを率直に述べて来たつもりです。しかし、ここまでお読みいただけましたら、誠にうれしく思います。

 

次回もまた、よろしくお願いします。

 

 



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