ペットの影響が反映する?! アニメ 七つの海のティコ

現在わたしは、赤柴と茶トラ猫と暮らしています。そういうことも影響しているのか、動物モノのアニメなどに自然と目が行きます。今回取り上げる「七つの海のティコ」も、動物モノの一種であり、ご存知の方も多いかもしれません。1994年に「世界名作劇場」の一つとして放映され、名作劇場の中では、唯一のオリジナルストーリーとなっています。

 

主人公のナナミが、海洋博士の父と共に、幻の生き物とされる「ヒカリクジラ」を追い求め、シャチのティコや海洋船の仲間、あるいは、出会った人々などと共に、様々な物語を展開していきます。わたしは、年も年なので「世界名作劇場」を知っていました。有名作品である「フランダースの犬」や「母をたずねて三千里」などを見たことがあり、わたしと同年代の親であれば、子供にDVDなどを与えているかもしれません。

 

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しかし、「世界名作劇場」は、すでにシリーズが終了しているようです。ちょうど同時期から放映局の凋落が始まったようにも思い、こういうファミリーものを疎かにした報いかもしれません。もっとも、大手地上波テレビを見ていると腹立つことが多いので、今はほとんど視聴していません。本来ならあまり生意気なことは言えませんので、この話題はこの辺で終わりにします。(笑)

 

ともあれ、「七つの海のティコ」は、20年以上前に放映され、「世界名作劇場」の中でも特異なもののようです。おそらく年齢を把握できる人もいるかもしれませんが、「七つの海のティコ」がオンタイムで放映されていた頃は、学生でした。そのため、オンタイムで見た記憶は全くありません。

 

けれども先日、Amazonプライムビデオで「エヴァンゲリオン」のテレビシリーズを視聴し、林原めぐみ出演の作品を見たくなりました。「エヴァンゲリオン」に関しては、関係の深かった人が好きだったので、ささやかながら影響を受けていました。そうは言っても、レンタルDVDで全話見た時は、30代半ば過ぎでした。熱狂的なファンからは、にわかに思われるでしょうが、少なくともオインタイム時の製作者の年齢に近かったことは、ひと言申し上げておきます(笑)。

 

しかし、元々映画の類は嫌いではなく、Amazonプライムビデオだけでは物足りなくなり、NETFLIXにも加入しました。Amazonプライムはクレジットカード関連で無料ですが、NETFLIXは有料であり、元を取るつもりでこちらを重視しています(笑)。林原めぐみで検索すれば、「七つの海のティコ」が簡単にヒットします。

 

ようやく本題に入るようですが、結論から言えば、「魔女の宅急便」に似た感じがあります。学生の頃、宮崎アニメを集中して視聴したことがあり、中でも「魔女の宅急便」がお気に入り作品の一つになりました。一人の少女が様々な困難を乗り越えながら、大人への道を歩んでいく、ということが、魔女の修行を通しながら描かれているように思います。

 

 

「七つの海のティコ」にも、そういう面があるでしょう。特に、幼い頃から一緒に暮らして来たシャチのティコとのエピソードが、代表的なようにも思います。しかも、ティコがナナミの友達のようでありながらも、飼い主と見ている面もあり、さらにナナミばかりでなく、その周囲の人たちもファミリーのように感じ、自分の身を投げ打ってでも、そういう人たちを助けようとします。

 

犬を飼っていると、そういうティコの姿に何とも言えない哀しさを感じ、ついついバカヤローと思ってしまいます。うちの柴のことになりますが、たいした飼い主でもないのに、どこまでも忠実であろうとする姿を目にします。けなげなまでに従っている姿に、猫とは大いに異なる点を感じます。むしろ、自分の意のままにコントロールし続けたい、とは思えなくなります。

 

「猫派」の中には、「犬派」は自分勝手に動物を操りたい人ばかりがいると思っている人もいるようですが、極論とはいえ、人の心の機微を無視しているように思います。もっといえば、心にも逆説があると思います。だからこそ、できる時には、犬の首輪やリードを外してやりたくなります。おそらくドッグランに通っている飼い主の心境には、これに近いものもあるかもしれません。

 

もっとも、猫には猫の良さもあり、ついさっきまでわがまま放題していながらも、ゴロゴロ急に甘えて来る姿には、猫の強さと弱さを感じます。かつては、わたしも「犬派」と思っていましたが、今ではいわば「犬猫派」であり、どちらにも組しない、という心根に変わっています。要するに、人との共生を選びながらも特性の異なる動物、ということでしょう。ただし、犬も猫も、食べることには非常に弱い生き物です。エサで釣られてしまうところに、人には勝てない要素があるといえば、的を得ていないでしょうか?

 

柴犬ヒロと茶トラ猫サクラ-03

 

少々話がずれてしまいましたが、犬を飼っているとティコの姿勢には、何とも言えない哀しさを感じます。そうは言っても、作品の中では、あまりお涙頂戴には感じられませんでした。しかも、エピソードを通じながら、ナナミなどがいずれは独立して行くであろうという雰囲気があります。やはり、「魔女の宅急便」との共通性をも感じています。

 

しかし、あくまでアニメはアニメであり、エンターテインメントの要素もあります。今時の言葉で言えば、グローバル企業がヒカリクジラを狙っているため、ナナミたちとの対決があります。巨大企業へ立ち向かう小さな海洋船の乗組員たちの姿に、つい判官びいきとなってしまいます。ただし、冒険好きのイギリス貴族のお嬢様が乗り込んでいたため、グローバル企業を簡単に負かせられるのでは、と思いますが、彼女は学生であり、自力で何かをやり遂げることを望んでいたのでしょう。セリフの中で、貴族の名を叫ぶシーンもありましたが、家系の力を実行しなかったところにポイントがあるのかもしれません。

 

ともあれ、「七つの海のティコ」は、ファミリーアニメとして及第点を付けることができ、今のような時代でも親子で十分堪能できると思います。1994年の作品とはいえ、現在に比べれば、セリフの言葉が実に綺麗に感じます。いずれこのサイトでもお話したいと思っていますが、70年代や80年代であれば、なおさら綺麗に聞こえます。いろいろなものが失われている、と感じていましたが、わたしが幼い頃にはまだまだ活き続けていたものがあったのかもしれません。端的に言えば、先の時代のアニメのセリフには、小津映画に出てくるような言葉もあります。もしかしたら、わたしが子供の頃に「世界名作劇場」のようなアニメを見たことがあったため、後年小津映画をすんなり受け入れられるようになったのかもしれません。実に些細なことですが、三つ子の魂百までも、ということでしょう(笑)。

 

ただし、論評者によれば、最後が少し観念的であるとのことです。Amazonの作品ページでも確認できますが、わたしは、観念的で良いと思いました。ネタバレになるといけないですが、言ってしまえば、人のエゴイズムと自然との対立が背後に流れているため、単なる自然保護の訴えでは、ストーリーの完結にはならないと思います。そうは言っても、すべてを支持しているのではなく、一部のセリフはいらないと思ったことも確かです。

 

おそらくすでに見た人であれば、どこのシーンを念頭にしているのか、お分かりになるかもしれません。そこで唐突なもの言いになりますが、果たして人とは自然ではないのでしょうか? それとも、自然なのでしょうか? わたしの好きな故池田晶子は、人の特徴が理性ということであれば、その理性も自然からもらったものではないか、というようなことを言っていました。わたしは、確かにその通りである、と思いますが、皆さんは、いかがお思いになるでしょうか?

 

なお、「七つの海のティコ」を見ながら、シャチやクジラと共にイルカなども出てくるため、日本が抱えている国際問題との関連が出てくるか、と思いましたが、それはなかったようです。陰険な刷り込みに感じられるようなこともなく、あくまで海と共に生きる親子と仲間の物語になっていました。この点では、大いに安心しました。

 

また、「世界名作劇場」シリーズの中で、初めて日本が出てきましたが、秋葉原が描かれています。しかも、電車が定時で動き、30秒の遅れで駅員が謝るシーンなどもあり、現在とあまり変わらない見方かもしれません。無理にちゃかしたり、自虐とも言える場面もなく、こんなものか、というところでしょう。けれども、やはり、「世界名作劇場」と言いながら日本が出てくることは、見ていてほっとしてしまうのは、わたしだけでしょうか?

 

長くなりました。相変わらず、まとまりのない文章となっていますが、ここまでお読みいただけましたら、誠にうれしい限りです。 今後とも、よろしくお願いします。

 


– Nippon Animation チャンネル –

 

 


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