オヤジの辞書 第二弾

マイナス成長
マイナスで成長する。なんだか、天才のバカみたいだ。(^O^)

※ 定義「国内総生産が前期比、又は前年比で減少すること。」証券用語解説集(野村証券)より

 

制度
囚われるが、時に邪魔。危険性回避には、制度を無視。それでも反省は、制度の改正。やっぱり、ぬるま湯につかっているとこうなる。

 

歴史の分岐点
どの時代の人も、そう思っているのだろうな、たぶん。だって、今の私、で生きているんだもん。

 

文化
長い年月掛けて養われた日本文化なら、受け容れた西洋文化も、そうなるだろう?イノベーションの伝統は変わらない。

 

自由
制度に求めても得られない。元々、そこにあるもので、己が作り出すもの。青い鳥、なんてあったが、それと同じであって、決して、外にあるものでもない。けどね、そんなこと言ってもね、制度で認められないよりは、認められている方が、まだましだいね。 比較すればの話だが、自由になりたければ、それこそ、自ら立ち上がる。それは、歴史や現象が示しているのでは?生きる力とは、そういうもののように思う。

 

加齢
今の時代、年取ることは嫌なことかもしれない。自然に逆らおうなんて、いやはや、人というものも、おかしな生き物である。確かに、気力も体力も衰えたら、若い頃を懐かしみつつ、憧れも持つのだろう。

オレは、大厄を過ぎたが、社会であれば、まだまだ若僧のよう。そのくせ、転職が厳しい年頃だから、これもまた、なんだか変である。なら、社会を変える? その前に、自分を変えるようにした方が、速いかもね。(^O^)

けど、加齢を感じるのは、最近、30代の女性が”お姉ちゃん”に見えてしまうことだ。世間的には、”おばちゃん”でも、オレには、別なのね。お前だけだ、と言われれば、その通りだが、オレなりの加齢の感じ方なのだろう。 そういや、ちょっと寂しかったのは、コンビニで酒買う時、身分証明書を求められなかったことだ。ヤバイ、と思い、途中で引き返し、家からわざわざ持って来たのに、いやはや、取り越し苦労とは、斯くの如し。

また、自分が加齢を感じるのは、自分と同じ年齢の人が、オヤジ狩りに遭ったニュースを知った時。 これも、なんだか寂しいやね。 そうは言いながら、加齢は、充実さを感じることでもあるように思う。それぐらいの余裕があってもいいが、それを作り出すのも、今の時代、自分以外にないのだろう。

 

ブーム
これに踊り、これに踊らされ、たくさんのお金が飛び交う。 次は、何が流行る、何が人気になる、それ買わなくちゃ。 そんな心理なのだろう。けどね、オレはね、嫉妬が嫌いだけど、羨ましくなる。だって、なんだかんだ言って、そういうのに、お金を使えるのだから。(^O^)

 

社会のソーシャル化
社会がさらに社会化する? オレは、苦手だな、そういう人と人の関わりは。けど、こんなところで、発言してるから、結局は、どうしようもないオヤジなんだろうな。

 

説明責任
説明責任を求めてる人を見るが、それで説明責任が果たされたと言っている人を知らない。オレの情報不足? それなら、それでいい。けれども、説明責任があるのはわかるが、一体、どこまで続くのだろう?

おそらく、求める人がいる限り、どこまでも続いて行き、する人も、される人も、どっちも満足せずに、事が進むのだろう。 傍から見ている追求者は、飽きたら次の問題で求め、そうして、それにも飽きたら、そのまた次へ移る。 当事者たちは、当事者たちで、続けて行く。どちらも、まじめであることが、前提なのだろうが。説明責任はある。それをする必要がある。おそらく、なにかしらの影響力を持っている人には。

けれども、それには際限がないのだろう。言葉と主観を持っているのだから。

 



 

バランス
均衡が取れ、なおかつ、中間を取っているようで、日本人には、非常に好まれる言葉かもしれない。もちろん、オレも日本人だから、バランスが取れた生き方に憧れる。

けどね、バランスには、どうもなんだか、対象に求める感じがする。要するに、対象依存。 おそらく、中庸には、そういう対象化がなく、自己も含めてのように思う。敢えて言うなら、中庸は、自己をも対象化したバランス感覚だろう。

でもね、ふとね、アッコ姉さん的に思う。その自己を対象化している自己とは何か?無即無、非無即有、非有即無、非無即非有・・・・。

どこまで、続くのか?(^O^)(^O^)(^O^)

 

情報操作
木乃伊取りが木乃伊になることに注意かな?

 

我々
これもまた、都合のいい時に使われる。なぜ、我あるいは私、と言い切らないのだろう。そういう「我々」を使う癖に、「和」を嫌ったりする。

オレには、汚いと感じる。言葉は、歴史的な産物だけど、発するのは、自分である。ましてや、意見と言うなら、「我々」であるのは、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」と同じであると思う。

いあだなあ、ああいやだ、いやだ、いやだ(杉村春子風)。

けど、オレも、どっかで使うんだろうなあ、「我々」。

いあだなあ、ああいやだ、いやだ、いやだ(杉村春子風)。

でも、これだけは、忘れたくない。 「赤信号 時にはみんなと 渡らない」 もう一回位信号待っても、遅れはしねえだろ。そう言っているオレは、電車にも乗らず、車も運転せず、チャリンコにも乗らない。 ただのオヤジ歩行者。

違った意味で、いあだなあ、ああいやだ、いやだ、いやだ(杉村春子風)

 

外資系企業
資本を乗っ取られることを恐れる日系の経営者がいる。けど、安心せよ。仮に乗っ取られても、職場が日本人ばかりなら、日本的になる。これぞ、逆説の外資系。

 

孤立
ある人たちによれば、日本は、孤立の危険があり、これからも、ますます孤立する可能性があると言う。確かに、ガラパゴス、などと形容され、携帯電話や企業のあり方が、国際基準ではない面もあるようだ。また、第二次大戦前に起きた国際連盟脱退などがあり、その後の歴史に教訓を感じ、警鐘を鳴らす意味もあるのだろう。

けれど、でも、しかし、だが、孤立、孤立と叫んでいる方が、余程、孤立しているようにも思う。 馬鹿じゃなけりゃ、変わる時に変わろうとするでしょう。少なくとも、そうじゃなきゃ、維新も高度成長もなかったんじゃねえのか?

むしろ、孤立、孤立と叫ぶ人こそ、「伝統的な村八分」を怖がってんじゃねえのかな、世界から。

 

なまり
言葉は、静的でありながら、動的でもある。言葉は、伝統でありながらも、個人が発するものでもある。インド英語などをたまに聞くと、別になまってたって、いいじゃねえか、とも思う。

「I’m Japanese.」でなく、「アイム・ジャパニーズ」でも、ユニークでいいじゃねえか!!

けど、オレなんか、いざ本番になると、汚いから黙るだろうな。恥を捨てられないから。(^O^)

 

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