6年前の今日(2011年3月11日)、東日本大震災が起きた。毎年この日になると、マスメディアなどでも大きく取り扱われる。日本ばかりでなく、世界が注視した大規模自然災害であり、当たり前と言えば当たり前である。
当時わたしは、浦和区(北浦和)に住んでいた。柴犬のメスと共に「二人暮らし」をし、震災の日も彼女が傍らにいた。地震による揺れで、体の自由が効かなくなった経験は、それまでなかった。しかも、母の出身地である原町(福島県南相馬市)周辺が話題にもなり、気が気でなかった。もどかしい心境は、今でも思い出す。
けれども、6年の歳月が流れた。復興も徐々に進み、2019年秋には常磐線が全線復旧予定である。ようやく思い出深い道のりで、再び「田舎」へ行くことができる。
国土交通省
- JR常磐線の富岡駅~竜田駅間の開通の見通しについて
また、わたし自身は、約3年前に浦和区を離れ、桜区の実家で母と暮らしている。柴犬のメスは相変わらず傍らにいるが、約2年前から茶トラ猫も加わった。仕事もボチボチ前に進みそうで、結果として浦和区から引っ越して良かったのかもしない。
さらに、今年は例年にないことが起きた。ナナネク(沖津那奈さんナビゲートのアマネクチャンネル)を聞きながら、14時46分を迎えた。番組も、東日本大震災に関連していたが、悲観的な内容ではなかった。
たとえば、ツイッターのお題が「東北で行きたいところ」だった。わたしは、躊躇なく相馬野馬追の雲雀ヶ原(ひばりがはら)をツイートした。その中では騎馬武者競馬と変な言葉を使ってしまったが、正確には甲冑競馬である。騎手が騎馬武者の格好をし、馬で競い合う。毎年7月に実施される伝統行事であり、開始時期に行きたいとつぶやいた。
そして、番組終了前には、それぞれができることをする、というコメントを耳にした。わたしは至極同感した。それぞれができることとは、日常そのものである。何気ない日常をきちんと過ごすことが、巡り巡って復興にもつながり得る。
無常であるからこそ、常なるものの継続がいかに困難であり、大切であるのかが、東日本大震災のような大規模自然災害によって、しみじみと感じられる。もしかしたら、日常こそが、本来の非日常であるのかもしれない。
いずれにせよ、震災から6年後に、こんな過ごし方をするとは思いもしなかった。毎年あの時に思いを馳せながら、仕事をしたり、ネットを眺めたりしていた。これもまた変化である。しかし、先述したように、震災時の心境を思い出すこともある。常磐線全線復旧が約2年後とはいえ、震災の影響はまだまだ健在だ。
変わったことと変わらないこと。
いかに時が経過しようと、これこそ、常なるものかもしれない。
参照 :
- もう4年、されど4年 東日本大震災
- エッセイ 島津亜矢の歌声で、心の回帰 ~ 母の故郷「原町」を想いながら ~
- 東日本大震災アーカイブス(NHK)