ちょいと戯れで

哀悼を込めて - 門倉有希 -

かつて「島津亜矢を想ひて」という個人サイトを運営し、門倉有希について自分なりの見解を述べたことがあります。すでに閉鎖したサイトですが保存したアーカイブから該当記事を抽出し、今回本サイトで再掲載することにしました。

わたしのような者でも哀悼を込めて。最後までお読みいただければ幸いです。

管理人:シムタケ 2024(令和6)年6月8日 記

 


 

特別編 亜矢ちゃんの次は有希ちゃん(^o^) - 

 

本来なら別サイトでも作成すべきでしょうが、折角こういうサイトを持っているので、こちらで特別編を書こうと思いました。気が向いたら専用サイトを作るかもしれませんが、しばらくは、島津亜矢と並行で、勝手な感想文でも書いていこうかと思っています。(^o^)

 

さて、肝心のテーマになりますが、これはこの記事の題名に尽きると思います。現在、「亜矢ちゃん」に続いて「有希ちゃん」にも、夢中になっています。おそらくお分かりになった方もいらっしゃるでしょうが、「有希ちゃん」とは、門倉有希のことです。学生の頃、名前を聞いたことがありますが、当時では夢中になることはありませんでした。本人に失礼でしょうが、チャンネル銀河で「日本のうた」を視聴するようになり、門倉有希の名前を思い出した次第です。そのため、歌に関しては、ほとんど知らなかったのが事実です。

 

けれども、初めて彼女の歌う姿を視聴した時、亜矢ちゃんの次に上手いな、と思いました。そうして、島津亜矢目的でチャンネル銀河の「日本のうた」を視聴するうち、彼女の動画ファイルも、欲しくなりました。まだまだ数は足りないですが、現在では、安物のブルーレイレコーダーに、島津亜矢バージョンと共に、保存しています。

 

そんな中で自分が気に入った曲と言えば、「ざんげの値打ちもない」です。わたしが生まれた頃にリリースされ、正直、知る訳もありませんでした。高度成長が完成したとも言える時代であり、戦後日本の礎が出来上がった時でもあるでしょう。大衆文化が華やかであっても、歌についてはどうなのかな、と思っていたことも確かです。けれども、その頃には、オイルショックなどもあり、暗さも背負っていた時代でもあるのでしょう。大衆文化と言っても、 アッパラパーな80年代(^o^)とは異なり、それなりに重厚感のある歌やテレビドラマもあったように思います。視点を換えれば、現在にも通じるものがあるのではないでしょうか?

 

なんだかんだ言っても、わたしの幼い頃は70年代であり、日本の歌といえば、どうしても歌謡曲になります。今では40過ぎのオヤジとなり、少しは自分の人生などを振り返る時もあります。そうなると、「日本のうた」のような番組で取り上げられる曲が、非常に懐かしく感じてしまうようになります。自分で知らなかった曲でも、幼い時にあちこちで流されていたものと呼応するような調子があり、典型的なものでは、「折鶴」です。チャンネル銀河の「日本のうた」で初めて聞いた時、知らなくても、つい懐かしさを感じてしまいました。「三つ子の魂百までも」と言いますが、それをつくづく実感しています。

 

こういう懐かしさを感じられる曲が取り上げられる度、日本にも、まだまだ良い曲があるなあ、と少々おこがましいことも思っています。自分が育った時代に自信が持てませんでしたが、少なくとも、10代になるまでは、日本というものが、強く感じられる文化が生きていたように思います。これを良いか悪いかで語ることは、価値観の問題になるのでしょうが、わたしは、仏教的な意味でいう「肯定」をしたいと思っています。

 

少し話がそれてしまいましたが、そういう懐かしさを感じられる番組の中で、島津亜矢とともに、門倉有希を知ったことは、幸いかもしれません。二人の特徴は、大いに異なるところもあるでしょう。安易に比較できませんが、島津亜矢には外向的な感じがしますが、門倉有希には内向的な感じがします。しかも、天に昇るような歌い方をするのが島津亜矢なら、門倉有希は地面の底に沈んで行くような感じがします。変な喩えかもしれませんが、島津亜矢がB以上の鉛筆なら、門倉有希はA以下の鉛筆のようにも思います。

 

また、島津亜矢には明るさとともに優しさも感じますが、門倉有希には暗さとともに冷たさも感じます。どちらかといえば、門倉有希の方が、現代的でしょう。仮に女をテーマにすれば、近松の物語に出て来るような女性をイメージするのが、島津亜矢であり、門倉有希には、70年代の女性をイメージします。もちろん、二人の実像などは知る由もなく、また知りたいとも思いませんが、あくまでわたしが彼女たちの歌う姿を視聴したゆえでのイメージです。いわば、情念を激しく表に出すか、それを堪えながらも出てしまうかの違いかもしれません。

 

ならば、近松的な女性と70年代の女性の違いとは何かと言えば、評論的な表現ですが、近代的自我の意識の有無のように感じます。もっといえば、「私」と「個人」の違いでしょう。より正確に言えば、70年代の女性には、近代的自我と日本の伝統的なあり方との葛藤がある、と思います。もっともこれは、70年代に限らず、明治以降の日本人に大きくのしかかっていることです。大東亜戦争(太平洋戦争)以後に「個人」がより強調されているとはいえ、現在でも、多くの人が抱えている問題ではないでしょうか? それを乗り越えるのもまた、それぞれの人であるのか、そうでないのかは、おそらく結論の付かない問題であり、是々非々で対応するのが、現実的であるとも思います。

 

大いに格好つけた言葉を述べてきましたが、以上のことは、灰色の脳細胞を抱えた、ただの40代オヤジの理屈に過ぎず、気に入ったものは気に入ったものであり、それ以上でも以下でもありません。それだからこそ、娯楽にもなると思います。しかも、わたしの内面にも、色々な自分がいることは確かであり、そうでなければ、島津亜矢とともに、門倉有希にも、夢中にはなれないでしょう。むしろ、これが人として普通では、と言ったら、おかしなオヤジの言い分でしょうか?(^o^)

 

ただし、どちらかと言えば、門倉有希の方に、自分には近いものを感じます。内向的な感じが、大きな理由かもしれません。こんなサイトを作りながらも、矛盾した言い方でしょうが、島津亜矢のような力強さと優しさ、あるいは、明るさは、わたしには、もともと持ち合わせていないようです。しかし、そうであるからこそ、自称亜矢ちゃんファンにもなれるのでしょう。(^o^)

 

また、門倉有希には、中島みゆきに近いものを感じます。熱狂的なファンには怒られるかもしれませんが、彼女の暗さと、時にはにかんだような姿には、どこか似たようなものを感じます。このサイトでも述べていますが、「ひとり上手」や「わかれうた」が好きなので、島津亜矢ばかりでなく、門倉有希にも、是非歌って欲しいです。すでに歌っているのであれば、わたしの知識不足でしょう。(^o^)

 

けれども、門倉有希と島津亜矢には、共通点も感じられます。あとから知ったことですが、二人とも、わたしと年齢が近いことです。世代論は好きではなく、また、若い頃に同世代が好きではなかったことは確かです。しかし、人というものも大いに変わってしまうもので、結果的とも表現できるでしょうが、好きになった二人の歌手が、自分の年齢に近いということも、皮肉なことであり、同時に、奇妙な縁にも感じてしまいます。また、わたしにとって、最大のお気に入りの理由であり、なおかつ、最大の共通点でもあるのでしょうが、二人とも、歌を主な売りとしている点です。

 

これもわたしの知る限りのことですが、歌以外のことで出しゃばることがなく、あくまで「歌手」であることを意識しているのが、好ましいところです。歌手の中には、いちいちしゃしゃり出てくる人がいて、わたしのような者には、時に疎ましく感じてしまいます。あまりにもひどい時には、視聴を止め、後で見たいところだけを見る、ということもしています。もっとも、こういう人を多用する方が、受けが良いのかもしれず、Nさんも、「数字には勝てない」ということでしょうか?(^o^)

 

さらに、歌を主な売りにしている点にも通じるかもしれませんが、門倉有希も島津亜矢も、非常に安定しているところです。実力派、とも呼ばれているのでしょうが、的確な表現にも思います。これまで視聴した中で、これは下手だ、というものがありません。どちらも、毎回聴き応えがあり、おそらく当該曲が似合うか似合わないかしかないのでは、と思っています。

 

こういう歌手の安定度は、見ている方でも安心感があり、それが信頼感に変わり、自然とお気に入りとなります。少しお堅いかもしれませんが、「歌手」からはまず第一に歌を聴きたいのであって、下らないおふざけなどは、そこそこにして欲しいと思っています。わたしみたいな素人が言うのはおこがましいでしょうが、安定度に関しては、門倉有希も島津亜矢も、最高クラスに入るでしょう。もちろん、ベテラン歌手にも、そういう人がいることも認めますので、「中堅どころでは」と言った方が、適切かもしれません。(^o^) これこそが、プロであると思いますが、いかがでしょうか?

 

以上、「亜矢ちゃんの次は有希ちゃん」について、拙い言葉を並べてきましたが、何かしらお役に立つようなことがあれば、作成者冥利に尽きると言えます。ちなみに、一つだけ、門倉有希を視聴していると嫌なことがあります。これは、彼女が問題ではなく、わたし個人のことです。

 

彼女の顔が、学生の時に一度だけデートした女性と非常に似ています。下らないコンパに参加し、そこで知り合い、次の飲み会の準備をしよう、と言って誘いました。そこまで順調だったのですが、どうもわたしの運動音痴に問題があったようです。デートした当日、それを言われました。しかし、自分では、あまりピンと来るものがなく、下心があったようでなかったような、非常に都合の良い心理状態でした。また、その女性は、福島県の出身で、門倉有希もそうです。福島県は、わたしの母の出身地でもあり、これももまた、その女性を誘ったことと関係しています。もちろん、画面の向こうの門倉有希にも、同じような感じを抱いていることは、否定できないところです。(^o^) 下らない過去話をしてしまいましたが、先述しているように、この記事を読み、何かしらお役に立つようであれば、幸いです。

 

ともあれ、今後も、島津亜矢と共に、門倉有希の歌う姿も、視聴し続けたいと思っています。「ざんげの値打ちもない」に触れましたが、彼女の独特のハスキーな声は、藤圭子の歌にも似合うと思います。「京都から博多まで」は、いつ聞いても、上手いなあ、と思います。また、「六本木ララバイ」も、彼女のハスキーな声に似合います。これはわたしが10代の頃にリリースされ、門倉有希が歌うことで、耳にしたことを思い出しました。当初から内藤やす子の歌は似合うだろうと思っていましたが、その通りであったと感じています。次は、是非「弟よ」を聞いてみたいです。

 

ただし、「想い出ぼろぼろ」に関しては、島津亜矢版も、見事だと思います。DVD「リサイタル 2000 挑む!21世紀へ」で視聴しましたが、彼女なりの優しさと力強さが見事に表現されていると思います。カバー曲は、似合う似合わないも大切ですが、自分なりにアレンジしながら表現することも大事でしょう。島津亜矢もまた、それに長け、そうであるからこそ「プロ」の名にふさわしいと思っています。

 

長くなりました。冒頭で新しいサイト云々のことを述べましたが、しばらくは、このサイトで、今回のように特別編として門倉有希のことも書いて行ければ、と思っています。気まぐれな管理人ですが、これからもまた、よろしくお願いします。

 

2013(平成25)年11月11日 記

 

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  島津亜矢の歌声で、心の回帰 ~ 母の故郷「原町」を想いながら ~
 

 

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