太宰治が玉川上水で身投げをしてから、約70年の月日が経っている。よくよく見れば、彼は大東亜戦争前に育った人間であり、戦後育ちとは異なった環境で作家として認められた。けれども、21世紀になった今でも、太宰治の力は健在であるように思う。
たとえば、太宰と言えば、「人間失格」をイメージする人が多いだろう。主人公である大庭葉蔵の手記として描かれ、人の心のマイナス面をこれでもかこれでもか、と書き連ねている。けれども、わたしが見るところ、冒頭部分で語り尽くされているように思う。一語で表わせば、「恥」である。おそらく今の人たちの中にも、こういう「恥」を感じながら生活している人がいるだろう。「人間失格」は、文庫版の累計で、600万部を越えているという。もちろん、これは21世紀の現在をも含めた数である。日本を代表するベストセラー作家の作品と言ってもいいだろう。
これだけ見れば、太宰は「人間失格」のみの作家のようだ。絶望や自己否定を主とした人のように見える。しかし、太宰には、それ以外にも多々作品を発表し、別な顔も有している。その典型的なものが「走れメロス」である。学校の授業で習った人も多いかもしれない。友情をテーマとした短編小説であり、主人公メロスの走りが、友人への思いの深さを象徴しているとも言える。しかも、メロスが憤った理由の一つが、王が人を信じられなくなったことだ。これだけ見ても、「走れメロス」が学校教育で採用される理由が理解できるかもしれない。
ここで察しが付く人もいることだろう。
先述している「人間失格」では、自己否定の物語であり、人間不信を肯定しているように見える。一方、「走れメロス」では、全くその逆とも言える。すなわち、自己肯定をしながら、人間不信を否定している。まさに矛盾であり、太宰の人の見方の整合性が取れないようだ。あるいは、時間とともに、見方が変化したとも言える。仮に変化したのであれば、大東亜戦争の影響もあろう。さらには、人の心は移ろいやすく、元々否定が強かったが、それが肯定に移り、最後は否定になった、とも解釈できる。確かに、太宰の処女作品集で、1936年に出版された「晩年」には、自身の体験を踏まえたであろう自己否定の物語ばかりが集められている。また、「走れメロス」は1940年に発表され、「人間失格」は1948年に出版されている。時間の経過としては、先で述べたような人の心の移ろいに合致しよう。
けれども、果たして、そんなに簡単なものだろうか? 単なる解釈としては、納得できるかもしれない。だが、あまりにも、一義的な見方のようにも思う。移ろい行くものであっても、実は表に出て来ているのが移ろっているだけであり、だからこそ、環境の変化などで、突然現れたり、あるいは、消えたりする。いや、消えるように見えるだけであって、実際は心の底に沈んだだけである。
これはなにも、太宰にだけ、限ったものではない。文学とは関係ない人々にも通じている。サラリーマンでも、自営業者でも、政治家でも、経営者でも、極端なことを言えば、人であれば、誰にでも通じているように思う。そうして、周囲の出来事と自分の心のあり方などによって、葛藤したり、あるいは、同意したりしている。かくいうわたしも、その中の一人である。
二つの顔の太宰。
彼が優れた作家であったため、小説という形で、二面性を表現できた。けれども、太宰ではない人々であっても、どこかに太宰的なものがあり、心の両義性の中で毎日一喜一憂している。そうであるからこそ、大東亜戦争前に育った太宰の作品であっても、21世紀の今日まで読むに値するものになっていると思う。