形にならない想い

本日で4月も終わりである。今年(2015年)も3分の1が過ぎようとしている。いつものことだが、月日は実に速い。わたしも、40半ば近くのオヤジであり、とっととくたばってしまうのでは、などと暦の速さを感じる度に思ってしまう。けれども、まだまだやり足りないことがあり、まだまだくたばれない、というのが本音である。

 

そうは言っても、人の運命は分からない。昨日まで元気だった人が、今日死んでしまうこともある。とりわけ、事故が典型的であり、職場の人が交通事故で急に亡くなった、ということも、多くの人が経験しているかもしれない。あるいは、学校の同級生や友人など、色々なケースがあろう。

 

季節も巡れば、人の生死もまた巡ってくる。だからこそ、運命としか言いようがないのだろう。わたしみたいな者には、「行く河の~」という一節に、感慨深いものを覚える。真実とまでは言わないが、やはり、この列島で暮らしていると、自然に身についてしまう世の中への見方の一つかもしれない。

 

そう言えば、数日前から扇風機を使い出した。今時古いかもしれないが、クーラーの冷たい風は、短い時間であれば非常に心地良いが、長時間となると、逆に体が冷えすぎてしまい、体調を崩す原因となる。もっとも、金銭的な理由でクーラーを取り付けられないこともまた事実であるが(笑)、扇風機の方が優しげな感じがし、わたしは気に入っている。

 



 

特に夏において、熱い日中であったのに、夕方になって一時涼風が吹くこともある。窓を開け、扇風機を掛けると、部屋に涼風が巡るため、非常に心地よさを感じる。夏の盛りでもそういう時があるが、晩夏であれば、秋をも感じられる。目の前にパソコンがあり、毎日デジタルと格闘しているが、風流だな、と感じることもできる。案外そういうものを楽しみにしている、しがないオヤジでもある。

 

もっとも、暑さが早く来た年は、冷夏となる可能性がある。もしかしたら、専門的な説明もできるのかもしれないが、わたしが記憶している中では、そういうことが多かった。4月末とはいえ、扇風機を使うようになるとは、初めての経験にも思う。暑さが短い年。そんな予感もするが、実際どうなるかは、暦に従っていれば、自ずと分かることである。

 

これから飼い犬との散歩である。在宅仕事をしているので、犬との散歩は大事なリフレッシュ時間でもある。犬よりも飼い主の方が、楽しんでいるかもしれない。出不精でありながらも、散歩は毎日しているのだから、わたしもまた、変な奴だな、と自分で自分のことを思っている。もっとも、飼い主であるので、当たり前のことかもしれないが、すでに習慣となっているので、自然に体が動く。これもまた、習慣の良さでもあり、悪さでもある。

 

形にもならない想いであるが、こんなことを書きたくなった4月末日のわたしである。

 

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