兎と馬と桜の日 調神社から浦和競馬場へ

一昨日(2017年4月7日)、調(つき)神社と浦和競馬場へ行った。どちらもしばらくぶりだったが、非常に楽しめた。今年は少し違う、と勝手に思っているので、4月7日には、どうしても調神社へは行きたかった。桜も目当てであったが、節目も感じるからだ。

 

午後2時頃、桜区の自宅を出た。郵便物があるのでJR西浦和駅近くの郵便局へ立ち寄り、武蔵野線に乗った。日頃自宅勤務であり、電車に乗るのも、久しぶりだった。おそらく2年程は、電車を使っていない。どんな感じになるかと期待したが、あまり変わり映えがしなかった。

 
 

 
 

南浦和駅で京浜東北線に乗り換え、浦和駅で降りた。すでに湘南新宿ラインのホームが開通し、しかも、地下通路も出来ている。まだ工事は続いているようだが、それでも駅の雰囲気が変わった。ここが県庁所在地の駅?、と思う雰囲気がなく、垢抜けた感じだ。これもまた、レッズ効果だろうか?

 

西口を出て、南へ向かった。かつての丸井の裏の商店街を抜け、旧中山道へ出た。10分も掛からずに、調神社に着いた。目の前のコンビニでは、アニメ「浦和の調(うさぎ)ちゃん」のポスターが目にできる、と聞いていた。ポスターといっても、関連商品のお知らせのようだが、確かに見ることが出来た。実はこれも、楽しみにしていた一つだった。(笑)

 

調神社は、兎を祀っていることで知られている。狛犬の代わりに、兎が出迎える。久しぶりに見ることができ、正直ホッとした。以前は、毎年時期をずらし、初詣をしていた。ここ数年は、それができなかった。初詣と言えばあまりにも遅いので、花見を兼ねたお参りとする。けれども、少しオーバーであるが、帰って来ました、という気持ちだった。

 
 

 
 

湧き水で手を洗い、本殿へ向かった。神道式の二礼二拍一礼を行った。教えてくれたのは、わたしの母方の祖父であり、こうして本殿で形式を守れるのも、祖父のおかげである。わたしも精進せねば、と思うが、成果がないことに歯痒い気持ちもある。しかし、時に頭を垂れることは、自分との対話にもつながる。神社などの意義は、そういうこともあるかもしれない。

 

拝礼の後、旧本殿へ向かった。以前同様、池の反対側にある。だが、新装され、むき出しのような旧本殿ではなかった。しばらく来ない間に変わってしまった。それでも、嫌な気分ではなかった。新本殿と同様、神道式の二礼二拍一礼を行い、頭を下げた。気持ちは同じようだった。

 
 

 
 

そうして、旧本殿側の公園に行った。桜が満開であり、ちょうど見頃だった。花見に来ていた子供たちが騒ぎ、年寄りの姿もちらほら見掛けた。さいたま市の神社で桜が有名と言えば、大宮の氷川神社かもしれない。武蔵国一の宮であり、毎年数多くの花見客が訪れている。初詣の客数も、もしかしたら全国で知られているかもしれない。

 

しかし、わたしは、浦和育ちであるので、大宮の氷川神社よりも調神社に親しみを感じる。規模が叶わなくても、公園の桜は鮮やかであり、ゆっくりと落ちていく花びらに、雅も感じられる。ああ、来て良かった、と素直に思った。

 

そうは言っても、時代は変わっているのだろう。90年代半ば頃であれば、桜の時期に親子連れを見ることは稀だった。昨日は公園いっぱいにいるようで、本殿でお参りしている時でも、子供たちの声が聞こえた。おそらく近所にできた団地の影響であろう。開発のおかげで活気が出たのは喜ばしいかもしれない。けれども、穴場の雰囲気がなくなったことは、残念といえるかもしれない。

 
 

 
 

この後、本殿へ戻り、おみくじを引き、お守りも買った。おみくじは何を引いたかは言わないが、結び所にしっかり結びつけた。果たして、今年の自分に当てはまるようになるのか? カミガミのみぞ知る、というところだ。

 

こうして調神社を後にしたが、ふと側の通りを東に向かえば、浦和競馬場へ辿り着ける、と思った。地元であるのに10年以上は訪れていない。開催の時は、インターネットで投票ができるので、足を運ぶ必要がない。こういう時しか、チャンスがない。思い立ったら吉日である。調神社を後にし、東へ向かった。馬場先通りにつながる道であり、高校へ通う時に使っていた。

 

徒歩で10から15分程度であろうか?上り坂の向こうに、浦和競馬場の正門が見えた。警備員がバスを誘導している。開催日ではないが、川崎競馬の場外発売が行われている。無料であると知ってはいたが、少し回りたくなった。正門から右手に周り、馬場先通りに出た。東へ向かうと、左手に住宅、そして、その向こうに競馬場の柵が見える。川を渡り、競馬場の柵に沿って裏手に回った。

 
 

 
 

浦和競馬が開催されていない時、市民へ開放されている。コースの真ん中には川が流れ、芝生も敷き詰められている。親子連れや少年野球チーム、ジョギングしている人などがいた。穏やかな春の日でもあり、体を動かすのにちょうど良い。わたしも、子供の頃、両親に連れられ、中央の芝生の上で遊んだことがある。ちょっとしたピクニックだったことを覚えている。折角なので、中をゆっくり見て回ることにした。

 

芝生内から見た新スタンド。今では浦和競馬場の顔かもしれない。

 
 

 
 

曰く付きの1600メートル地点。カーブ中央にスタート地点があり、難しいコースの一つになっている。

 
 

 
 

第四コーナー付近からの直線。短い距離で有名であり、行った行ったのガチガチ馬券は、浦和競馬の名物と思っていた。しかし、近年は直線で勝負がつくレースも多く、時代が変わったのかもしれない。

 
 

 
 

こうして、第四コーナー辺りから北門へ抜けた。そうして、また正門へ行き、正面から堂々と競馬場内に入った。

 

場内に入ると、記憶とは少し違っていた。正面左側の薄暗い3号スタンドは健在であったが、右側のパドックが垢抜けた感じだった。覚えている中では、もう少し手前にあり、閉鎖的な感じだ。こじんまりしていることに変わりはないが、これほど開放的になっているとは思わなかった。

 

パドックの向こうには芝生があり、建物もあった。記憶の中では、芝生の所に建物があり、ゴール板前にも椅子、あるいは、階段があったように思う。おそらく改修工事がなされたのであろうが、しばらく来てなかったことのツケだろう。さらに、場内の敷地まで、かつては無料バスが乗り入れていなかったように思う。もしかしたら以前よりは、客足が伸びているのかもしれない。

 
 

 
 

けれども、変わらない面もある。たとえば、パドック隣には、お立ち台があった。川崎競馬の場外発売日でもあったので、ほんの数人の予想屋がいた。土台の木材が傷んでいるが、こういう風景は以前にも見た。開催日であれば、予想屋の声が木霊し、聞き入っている客もいる。

 

しかも、やきとりの匂いが漂い、自然と惹きつけられる。思わず腹が鳴ったが、予算外になるので我慢した。しかし、公営ギャンブルとはいえ、お祭りのような感じだ。浦和競馬場は、B級グルメで知られているようで、有名なメニューもある。今度は事前に十分調べてこようと思った。

 

そして何より、懐かしさと嬉しさがあったのが、薄暗いスタンドがそのままであることだ。3号スタンドであるが、購入窓口が正門側にあり、その反対側にさらに窓口があり、払戻所もある。薄汚れた感じは、わたしが来ていた頃と変わっていなかった。

 

この払戻所には思い出があり、1992年のしらさぎ賞が頭に浮かんで来た。しらさぎ賞は今月開催のメインレースであり、来たくないと言えばウソになる。さらに、3号スタンド横のコンクリートの階段も変わらない。窓から見るゴール板風景は、何とも言えない感慨深さである。

 

3号スタンド横の新4号スタンドにも入った。場外発売日であるが、結構人がいた。地方競馬もレジャー化が進んでいるのだろうが、感想は変わらない。ほとんどが中年以降の男性客であり、オヤジの遊びの雰囲気がたっぷりあった。若い人もいたが、ちらほらだった。平日であるので、仕方ない面もあろう。

 

それでも、わたしにとっては居心地が良く、3Rと4Rを場内テレビとオーロラビジョンで見てしまった。歩いていたこともあり、新4号スタンドの3Fの椅子に座った時は、肩の力が抜けるようだった。馬券を買わなくても、この雰囲気を味わえたことだけで、個人的には満足だった。

 
 

 
 

こうして、帰路に付くことにした。久しぶりの訪問であったが、実に喜びでいっぱいになった。先述しているように、今月開催のメインレースは、しらさぎ賞である。わたしの思い出は暑い時期であったが、何十年も経っているので、開催時期が移動したのだろう。けれども、やはり、心が動く。

 

今度は開催日に来たい。むろん、状況と財布の中身との相談だ。(笑)

 

入った時と同じように、正門から出た。その前に、再びパドックを眺め、同時に桜の木を見た。一本だけであるが、晴れ渡った日にお似合いのように、満開であった。おそらく何十年と、同じところで人々の喜怒哀楽を見ているのだろう。わたしも、その一人であったし、もう一度復活するかもしれない。少し格好つけ過ぎであろうが、通りすがりに、じゃあなまたな、と心の中で声を掛けた。

 
 

 
 

4月7日は、わたしにとって大切な日である。今年は、どうしても調神社に行きたかった。それを実現させ、思い切って浦和競馬場にも訪れた。桜区の実家まで徒歩で帰った。疲れはあったが、心地よいものでもあった。

 

地元を巡る。これもまた、時には悪いことではない。

 
 

 
 

 

 

変わったことと変わらないこと 東日本大震災から6年

6年前の今日(2011年3月11日)、東日本大震災が起きた。毎年この日になると、マスメディアなどでも大きく取り扱われる。日本ばかりでなく、世界が注視した大規模自然災害であり、当たり前と言えば当たり前である。

 

当時わたしは、浦和区(北浦和)に住んでいた。柴犬のメスと共に「二人暮らし」をし、震災の日も彼女が傍らにいた。地震による揺れで、体の自由が効かなくなった経験は、それまでなかった。しかも、母の出身地である原町(福島県南相馬市)周辺が話題にもなり、気が気でなかった。もどかしい心境は、今でも思い出す。

 

けれども、6年の歳月が流れた。復興も徐々に進み、2019年秋には常磐線が全線復旧予定である。ようやく思い出深い道のりで、再び「田舎」へ行くことができる。

 
 

国土交通省
- JR常磐線の富岡駅~竜田駅間の開通の見通しについて

 
 

また、わたし自身は、約3年前に浦和区を離れ、桜区の実家で母と暮らしている。柴犬のメスは相変わらず傍らにいるが、約2年前から茶トラ猫も加わった。仕事もボチボチ前に進みそうで、結果として浦和区から引っ越して良かったのかもしない。

 

さらに、今年は例年にないことが起きた。ナナネク(沖津那奈さんナビゲートのアマネクチャンネル)を聞きながら、14時46分を迎えた。番組も、東日本大震災に関連していたが、悲観的な内容ではなかった。

 

たとえば、ツイッターのお題が「東北で行きたいところ」だった。わたしは、躊躇なく相馬野馬追の雲雀ヶ原(ひばりがはら)をツイートした。その中では騎馬武者競馬と変な言葉を使ってしまったが、正確には甲冑競馬である。騎手が騎馬武者の格好をし、馬で競い合う。毎年7月に実施される伝統行事であり、開始時期に行きたいとつぶやいた。

 

そして、番組終了前には、それぞれができることをする、というコメントを耳にした。わたしは至極同感した。それぞれができることとは、日常そのものである。何気ない日常をきちんと過ごすことが、巡り巡って復興にもつながり得る。

 

無常であるからこそ、常なるものの継続がいかに困難であり、大切であるのかが、東日本大震災のような大規模自然災害によって、しみじみと感じられる。もしかしたら、日常こそが、本来の非日常であるのかもしれない。

 

いずれにせよ、震災から6年後に、こんな過ごし方をするとは思いもしなかった。毎年あの時に思いを馳せながら、仕事をしたり、ネットを眺めたりしていた。これもまた変化である。しかし、先述したように、震災時の心境を思い出すこともある。常磐線全線復旧が約2年後とはいえ、震災の影響はまだまだ健在だ。

 

変わったことと変わらないこと。

 

いかに時が経過しようと、これこそ、常なるものかもしれない。

 
 

参照 :
- もう4年、されど4年 東日本大震災
- エッセイ 島津亜矢の歌声で、心の回帰 ~ 母の故郷「原町」を想いながら ~
- 東日本大震災アーカイブス(NHK)

 
 


– 福島県南相馬市の北泉海水浴場から原町火力発電所方面 –
2011年6月15日撮影

 
 

 

過去の自分と御対面 小田和正 アーティスト・セレクション

現在、Amanekチャンネルのアーティスト・セレクションで、小田和正が取り上げられている。今月(2017年2月)から開始された特集のようで、本放送が毎週金曜日の10時から11時、再放送が毎週土曜日16時から17時と日曜日19時から20時である。生活環境から、わたしは土日の再放送になるが、小田和正なので、とりあえず毎週聞いている。

 
 

- Amanekチャンネル (放送スケジュール、聴取方法あり) 

 
 

わたしにとって、小田和正と言えば、「眠れる夜」である。オフコース時代の代表曲であり、かつてはカラオケでも良く歌っていた。また、「Yes-No」も個人的に印象に残っている歌だ。カラオケ用にひっそり自宅で練習したが、お披露目することはなかった。今のような自宅勤務となって、一体実現するのか否かは分からない。もう練習もしていないので、声も出ないであろう。

 
 

– Uta-Net動画+
オフコース Yes-No

 
 

けれども、小田和正がお気に入りの歌手かと言えば、正直、そうではない。好きな歌手は誰かと聞かれれば、迷わず島津亜矢と答える。そうは言っても、アーティスト・セレクションに耳を傾けているのは、良きにつけ悪しきにつけ、思い出があるからだ。

 

たとえば、先の「眠れぬ夜」については、初めて歌ったのが小学生の時だ。当時は、自己顕示欲が強く、何かと目立ちたがり屋だった。そんな時、ある民放局が放映していた、のど自慢小学生大会の予選があった。

 

自宅で歌手のフリマネなどを母に見せていたので、そのノリで応募した。けれども、何の曲にするか困っていた。すると、長兄が「眠れぬ夜」を勧めて来た。長兄はすでに高校生で、オフコース真っ只中の年頃だった。初めて聞いた時、歌えるかなあ、と思った。しかし、タイミングよく、西城秀樹が「眠れぬ夜」のカヴァーをリリースしていた。

 
 

※ 
上記と全く同じレコードで練習。
捨てた記憶はないが、押入れ深くに沈んでいると思う。

 
 

西城秀樹バージョンであれば、テレビで見ていたので、これなら行けるかも、と子供ながらに思った。長兄の指導で自宅で練習し、太鼓判をもらった。そうして、いざ母に連れられ本番に向かったが、全くダメだった。仮に通っていたら、ここでこんな記事を書いていないかもしれない。しかし、歌の神様は、わたしとは縁遠かったのだろう。子供であっても、ダメだこりゃ!!、と思った。(笑)

 

今でもはっきり覚えているが、ピアノの前に立たされ、ではどうぞ、と司会者の掛け声で前奏が始まった。声を出さなけりゃ、と思ったが、出て来なかった。足は震えていなかったが、歌詞が全然浮かんで来なかった。生まれて初めて、頭が真っ白くなる経験をした。

 

予選は、港区のスタジオで行われ、母と共に帰路についた。坂道を下りながら、声量があっても調子が合わず、歌手を諦めた父と同じ、と言われ、二度とのど自慢予選には出ないと誓った。当然、そのまま成長して来た。けれども、どこかで悔しい思いがあったのかもしれない。カラオケに行くと、決まって「眠れぬ夜」を歌っていた。西城秀樹ではなく、オフコース・バージョンである。上手いのか下手なのか、自分ではよく分からないが、少なくとも歌詞を忘れてしまう心配はなかった。(笑)

 

また、振り返ると、予選の時の「眠れぬ夜」は、オフコース・バージョンだったかもしれない。わたしは、西城秀樹バージョンで練習していたので、ピアノの音を聞いた時、あれおかしい、と子供ながらに感じたことも確かだ。こうなると、予選落ちは、半分は長兄のせいかもしれないが、今更文句を言うつもりもない。(^o^)

 
 

– Uta-Net動画+
オフコース 眠れぬ夜

 
 

また、小田和正と言えば、多くの人が「ラブストーリーは突然に」を思い浮かべるだろう。わたしもそうであるが、大ヒットとなった当時、さんざん耳にした。望むと望まざるとに関わらず、聞かされてしまったという思いが強かったため、嫌いな曲の一つになった。またかまたかと、実に飽々した記憶がある。

 

けれども、時が経過した今、アーティスト・セレクションで聞いた時、実に懐かしい感じがした。ついつい口ずさんでしまい、ついついツイートしてしまった。わたしもまた、人の子である。

 

「ラブストーリーは突然に」がリリースされた年は、1991年であり、長い浪人生活を経て、ようやく学生となった時だ。何事も吸収できるという慢心があり、浮かれてもいた。反抗期ではなくても、つまらない自信による反発心が強かった。だからこそ、飽々した度合いも深かった。

 

仮に今、新曲で「ラブストーリーは突然に」が出て来たならば、わたしはどうだろうか? おそらく、ああ小田和正らしい曲だ、と思うかもしれない。それだけ、少しは心に余裕ができたことと同時に、時間というものの残酷さと優しさをも感じてしまう。

 

さらに、1991年はバブル経済が崩壊した時でもあり、かなりの影響が出て来たのは数年後だった。まだまだバブルの余韻を引きずってもいた。失われた20年のきっかけを与え、現在でも影響がないとは言えない。そんな時の曲であり、なおさら嫌な感じが残ってしまったのは、否定できないだろう。

 

そう言えば、バブルと聞くと、お立ち台を思い出す。ワンレン・ボディコンの時代であり、軽さが世を席巻していた。そういう時代の雰囲気を高校生の頃にモロに感じてしまった。あまり好きではなかった時であり、それの影響が軽さの世の中を毛嫌いしていた。これに関しては、今でも変わらない面がある。かといって、重いことばかりも心が疲れるだけだ。

 

綺麗事になるだろうが、軽すぎることも重たすぎることも、あまり良い影響はないと思う。祖父が残した「いい加減が良い加減」である。しかし、時に過剰に走ってしまうのが、人の性かもしれない。理由は色々あるにせよ、バブルもまた、そういう過剰の性が引き起こしたとも言えるだろう。

 
 

– Uta-Net動画+
小田和正 ラブストーリーは突然に

 
 

ともあれ、小田和正の曲には、過去の自分と対面させられる。

 

アーティスト・セレクションを聞きながら、彼が毎年行っているクリスマス・コンサートも、思い出した。わたしは、何度かテレビで視聴したことがある。一時期恒例行事のようになり、必ず一緒に見る人がいた。けれども、数年の習慣で終わってしまった。側にいた人に対しては、心残りはないが、そういう過去の一場面が自然と出てしまう。歌というものの力を改めて思い知らされている。ニーチェは、クラシック音楽と人の関係を説いていたが、それはジャンル云々ではなく、音と人の深い関連であるのかもしれない。

 

聞き学問であるが、胎児は母親のお腹の中で、母胎の音を聞きながら、育っているようだ。胎教という言葉もあり、生まれた時点から胎児は周囲に耳を傾け、音を聞いているのだろう。これは聴力のあるなしなのではなく、生に関わることかもしれない。人に限らず、動物にも当てはまることであるように思う。

 

少々話がずれてしまったが、小田和正のアーティスト・セレクションは、これを書いている時点で、あと二週分ある。これからどんな曲が出てくるのか? わたしは耳を傾ける予定であるが、楽しみであると共に、悲しみもある。これもまた、縁であると言えば、的はずれな言葉になるだろうか?

 

 

一ヶ月遅れ、されど一ヶ月遅れの初詣 田島氷川神社

一昨日(2017年2月1日)、犬の散歩を中止し、地元の田島氷川神社へ赴いた。毎年、時期外れの初詣をしているが、今年は少し早めようと一昨日の晩に思い立った。それでも、一ヶ月遅れであるので、カミガミはあまりお喜びになられないかもしれない。(笑)

 

しかし、行かないよりは行った方が、どこか心が落ち着く。わたしは、神道の氏子ではないが、母方の実家が神道であり、かつて家族を営んでいた者も神道であった。なおかつ、わたし自身も日本から出たことがないので、自然と神道に親しみを持ってしまう。これもまた、経験のなせる技かもしれない。

 

ともあれ、思い立ったが吉日である。強い北風が吹く中、桜区の自宅を一人で出た。

 

風が強いながらも、空には冬の星々がきらめいていた。鴨川用水路という生活排水路の沿道を東へ向かった。夜10時過ぎになれば、ほとんど人を見かけない。田島氷川神社の側まで来れば、ようやくポツリポツリと人影を見かける。

 

昨夜も同じだった。

 

けれども、鴨川用水路の沿道は、桜並木の散歩道でもある。子供の頃から慣れ親しんでいた。現在の地域には、わたしが小学校6年生の時に越して来た。一度実家を出ながらも、今では出戻りの身である。それまでにも、自分なりに色々なことがあった。

 

初詣へ向かっている間にも、わたしの脳裏がざわついた。

 

散歩道に沿うように西浦和霊園がある。実は、その一角に、わたしにも関連したお墓がある。購入する際、チラシを見せられ、ビックリしたことを覚えている。場所が場所だけに、一度見学しただけで、すぐに決めたところだ。完成した時、おれはこの地域に戻らない、と誓っていたが、見事裏切ってしまった。自分を恨めしく思う。ダラシのない人間は、一生ダラシがないのだろうか?

 

それは自分自身が答えとなるかもしれない。

 

桜区に戻るまでは、北浦和に住んでいた。田島氷川神社へ向かうということは、自分の過去にかえることでもある。しかし、単なる過去ではなく、過去の一点では未来への道のりだった。それが再び巡って来るのか、再び遠く離れてしまうのか、どうなるのか? こんなことも思ってしまった。

 

ビュウビュウ風が吹いていた。新大宮バイパスの歩道橋を渡り、マンションを過ぎ、交差点を超え、田島氷川神社の裏手に出た。子供用の遊具が目に入り、公園が現れた。いよいよ近くだ、と思い、正直、胸が高ぶる感じがした。同時に、ようやくだ、という思いも湧いてきた。

 

 

一ヶ月遅れ、されど一ヶ月遅れ。桜区に舞い戻ってきてから、最も早い初詣である。

 

公園を回るように進むと、小川があり、左手に社務所が見える。明かりが点いていたが、立入禁止ではないため、参道から堂々と入った。社殿の前に来た時、財布からお賽銭を取り出した。夜中であるので、鐘はないが、神道式の儀礼を行った。

 

二礼二拍一礼。氏子ではないわたしでも、少しは身についているのかもしれない。次に、社殿近くの英霊之碑にも行った。同じように、二礼二拍一礼。心なしか、碑の背後の木々が鳴いているように感じた。

 

来た道を戻った。ああ、よかったよかった、と胸を撫で下ろした。

 

勘違いかもしれないが、ビュウビュウ吹いていた風が少し止んだように感じた。心のあり方で周囲も変わってゆく。道すがら、わたしは思っていた。そうして、こんなことも浮かんで来た。

 

「桜の時期になったら、前のように調神社へも行こう」

 

今年はわたしにとって、何かしら扉が開かれてくれればいい。そう、期待を込めながら、家路についていた。

 

 

 

もうすぐ開花予想

年が明けてから、二ヶ月が過ぎようとしている。来月下旬ともなれば、桜の開花予想がなされ、見頃時期などがテレビで放映される。もっとも、テレビを見なくなってから久しくなるので、わたしの場合、ニュースサイトからである。

 

否が応でも目に入る。

 

だからこそ、桜が日本の花なのであろう。別に嫌いな訳ではなく、実際は桜が楽しみである。このサイトでも、近所の桜について、あれこれ書いているが、わたしの場合は必然的に夜桜になるので、人混みの中での鑑賞とはならない。

 

隣に愛犬を従い、街灯にライトアップされた桜が、今のわたしの桜である。人工灯であるので、自然の美しさとは言えない。おそらく偶然の美しさであり、桜のためではなく、人のための灯火が、たまたま桜を引き立てているのであろう。

 

都市部を離れれば、さらに美しい桜があるかもしれない。そのために出掛けるのもまた、楽しいことであろう。しかし、それだけが桜鑑賞の喜びではない。地に足を付けた見慣れた処だからこそ、美しいものを見つけることができる。いや、そういう処だからこそ、余計に際立った美しさを感じてしまうのかもしれない。

 

そういえば、一歩路地に入れば、そこから旅が始まる、という言葉を聞いたことがある。慣れた土地であっても、路地などに入れば時に驚くことを見つけられるという意味なのだろう。灯台下暗し、でも同じようであり、案外、大切なものは身近なところで発見できるのかもしれない。

 

とにかく、今年(2016年)の桜も楽しみである。正直、毎年桜の時期が待ち遠しく、犬の散歩そっちのけで、喜びに浸っている。