清々しさと違和感 - 御代替りによせて -

2019年5月1日、新しい元号が始まった。令和元年のスタートであり、新天皇が即位した。世界の中で元号のような時代区分を持っているのは日本だけとのことで、わたしのような者にはプライドにもつながっている。決して否定すべきことではない。

 

自分の人生の中では、平成に続く二度目の御代替りであり、自然と比較した。平成の時は、昭和天皇の崩御によって元号が変わったため、当然今回とは異なる。歴史的には令和のような「譲位」は何度もあったようで、常識的に見てもさもありなんであろう。

 

けれども平成を経験していることを鬼の首を取ったように言うつもりはないが、どこか違和感を覚える。平成の時でも、大東亜戦争(太平洋戦争)前とは時代が違っていたため、ああだこうだあったことは確かだ。

 

今でも覚えているが、大喪の礼は2月の寒い時期に行われた。世界各国の首脳が駆けつけ、アフリカ等の暖かい国の首脳の中には、民族服の人もいた。

 

テレビの解説者の中には、教条的で訳知り顔で、技術立国日本なら機器を使ってもっと暖かくできなかったのか等と言っていた。今更何言ってやがると、小僧ながらにも思った。

 

弁護士と称した人は、絵巻物を見ている感じではいいですね等と笑いながら評していた。一般で言えば、大喪の礼は葬式に当たる。神話の世界を受け継ぐとはいえ、人の姿をした方への弔いでもある。

 

ネット社会の今日であれば、わたしが思ったようなことはtwitterやfacebookでも出てくることだろう。何とも失礼であると思い、後年法学部へ入学したが、弁護士になんか決してならない、と思ったことも確かだ。

 

時間の前後がズレるが、平成に切り替わる前、昭和天皇が病に倒れ、病状経過がテレビのテロップで流れた。記憶では1988年(昭和63年)12月頃からであり、今でもテロップが録画されたビデオを持っている。

 

自粛ムードとなり、年末の稼ぎ時であっても「めでたいこと」は大々的にしなかった。有名な「お元気ですか?」のCMが口パクで流れ、わたしは生で見たこともある。現在YouTubeで見ることができるが、口パクではないバージョンのものもある。

 

平成に切り替わった直後のテレビでは、同じような番組が繰り返し流され、昭和を振り返るものばかりだった。これも有名な話だが、12チャンネル(現テレ東)だけアニメを流し、高評価を得ていたと思う。

 

崩御の日、わたしはアルバイトがあったので、地元の浦和駅へ行ったが、いつもより人影が少なかった。店舗も閉まり、出入口には哀悼文の張り紙があちこちにあった。

 

違和感。正直そう感じたことは確かだ。けれども不思議と嫌な感じはなく、それも当然か、と納得もしただ。これが最高権威の表れとも感じ、当時もまた小僧でありながらも歴史性を感じていた。

 

昭和天皇が崩御された日は、1月7日。高校3年の冬休み最後の日であり、テレビで「平成のおじさん」を目にした。

 

今回、平成とは異なり、「譲位」である。わたしは政府や大手マスコミが使っている言葉を敢えて使わないが、「崩御」による御代替りとは大きく違っている。一般で言えば「隠居」と似たようなものであり、悼むムードではないだろう。

 

確かに元号が変わることは、新しい時代の始まりであり、清々しさを感じる。気分一新であり、新たな目標等を立てたくなる。平成の時でもわたし自身、そういう気分が生まれたことも否定しない。

 

しかし今回の令和では、平成の時とはまた違った感じが生まれたことも間違いない。「譲位」は数年前の明仁上皇のお言葉から始まったことだ。わたしが記憶する中では、高齢や病気、御代替りの際の過密スケジュール等を鑑み、「譲位」するという表明であったと思う。

 

正直「個人」という言葉を使われたことには、それこそ個人的に驚いたが、時代の変化と受け止めるしかないだろうとも思った。変化に合わせながらも大局を誤らないということが大事、とも感じた。

 

いずれにせよ、「譲位」のきっかけは明仁上皇のお言葉であり、単に会社の社長が息子に地位を引き継ぐこととは異なるようにも思う。わたしには、一世一元制の下ではできるなら続けるべきだろうが、そうもいかなくなった時どうするのか、皆で考えて欲しい、との表明に受け取った。

 

このため、今回の「譲位」は単なるハッピー気分でいいのかどうか、個人的には疑問に思っている。だからこそ、平成の時とは異なった雰囲気を感じることは確かだ。

 

たとえばセールという言葉である。還元セールあるいは令和セール等の言葉を方々で見かける。あるいは、カウントダウンである。まるで年末年始のような感じがあり、お祝いムードである。「明けましておめでとう」と似たような表現やそのように発言する著名人等もいて、わたしは少々驚いている。

 

昭和生まれとはいえ、高度成長が終わった末期の誕生であり、当然戦前のことは知らない。平成の自粛ムードも、今でもいう「K・Y」と同じような感じがし、納得はしたがそこまでするか、という気持ちもあった。

 

いわゆる戦後教育を受けた身であり、「現人神」は教科書の言葉である。それでもどこか違って感じる。わたしの理解する「常識」、あるいはわたしが勝手に名付けている「一般的思考」からしても、どこか異なる感じだ。

 

先述しているように「譲位」は「隠居」のようなものである。明仁上皇は御位を譲られただけで、存命である。それでもわたしの理解の中では、「譲位」のきっかけは喜ばしいことばかりではないように思う。

 

時代の変化。「個人」という言葉を使ったこととは違い、それだけで片付けられるのだろうかと疑問に思っている自分もいる。

 

ともあれ、ユニークな時代区分によって元号が変わり、新しい時が刻まれる。「上皇」という存在もあり、目に見える形で歴史を感じられる。日常に変化はなくても、清々しさが生まれる。通過儀礼に相当し、そういうものが人には必要であると、改めて感じている。

 

果たして令和はどんな時代になるのか?未来は分かりはしないが、まずは平成がどんな時代であったのかを追求することも大事だろう。良かったことばかりではないと思っているのは、わたしだけではないかもしれない。