現在わたしは、在宅仕事をしている。かっこつければ、SOHOとなるが、まあ、やはり、在宅仕事である。収入面から言えば、とてもじゃないが、人に言えるほどではない。もっと頑張ればいいのだろうが、いやはや、商才のない輩には、もともとお金も巡って来ないのかもしれない。(^o^)
けれども、リーマンショックで、ある外資系企業から派遣を追われ、2009年から、現在のような在宅仕事を始めている。かれこれ、5年にもなり、月日の経つのは、速いものだ。数年はなんとかこなしていたが、結局、実家に戻る形となり、今は母と暮らしている。10歳まで大日本帝国臣民だった母であり、わたしから見れば、典型的な日本の母を感じる。そうは言っても、恥と潔さを重んじるところもあり、サムライ気質を持った女性でもあるのかもしれない。
そんな母の息子の中で、わたしのような中途半端者がいるのは、大変済まない気持ちがする。ある意味、事業に失敗したのだから、年老いた母にとっては、恥でもあるのだろう。しかし、一度は、実家を飛び出した息子が帰り、夕食の支度などをしてくれるのは、大変有り難い。わたしも、実家を出た後、結婚、離婚をし、二度目の一人暮らしをしていた。食事の支度程度は今でもできるが、早々にこなしてしまう母は、やはり、手慣れたものだ。一度、わたしもできるから、と言うと、仕事がなくなるから、と言われた。なんだ、親子で仕事がなくなるんじゃ、生活が大変だ、と思い(^o^)、結局、母に任せる形となった。ある主義主張を持った人たちからは、文句が出るかもしれないが、人には様々な生き方がある。選択は、おのおの自由であり、社会進出だけが、オプションではないだろう。
この手のニュースを見聞きすると、どうしても、腹が立ってしまう。ネットでも、あるいは、BBC(英国放送協会)でも、同様だ。今では、地上波を見ないようにしている。 面白くない、というのが、理由の一つにあるが、見ていると腹が立って、気分が悪くなるからである。地上波を見るなら、まだBBCの方が マシである。いわゆるBBC英語の響きが好きであることと同時に、日本に関するニュースは、BBCが独自に集めたというよりも、日本国内発であるのが、概ねだからである。腹が立ちながらも、いい年して、英語学習も兼ねている。しかし、国際ニュース、とりわけ、西側諸国の見方を感じることができ、こんなわたしにも、大いに役立っている。しがない生活をしながらも、世界を感じられるのは、やはり、近代科学のおかげなのだろう。いずれは、中年留学でもしたいが、それだけ稼がなくては、などと日々思っている。
ともあれ、どうしようもない中年オヤジでも、日々どうにかこうにか生きている。いや、生かされているというのが、現実だろう。母のおかげもあろうし、また、死者のおかげでもあろうと思っている。一体、自分は、これからどうなるのか?そんなことは分からない。分からないからこそ、不安にもならない。ある意味、興味深くもある。生活もそうだが、自分がどんな死に方をするのか、それもまた、人生の醍醐味かもしれない。そう言えば、あるアニメ映画の中で、♪生きている不思議 死んでいく不思議、とあった。まさに、その通りだと思う。もっとも、生と死への思いは、古今東西多くの人が語っている。わたしのものは、池田晶子の受け売りと言われれば、それまでであり、それまでのオヤジにしか過ぎない。(^o^)
8月は、色々な意味で、死者を感じられる季節である。わたしの個人的なことでもそうであり、社会的なことでも、そうであろう。この世の中は、現存している人だけが、作り上げたのものではない。やはり、中年オヤジになったせいか、そんなことをつくづく思う次第である。