兎と馬と桜の日 調神社から浦和競馬場へ

一昨日(2017年4月7日)、調(つき)神社と浦和競馬場へ行った。どちらもしばらくぶりだったが、非常に楽しめた。今年は少し違う、と勝手に思っているので、4月7日には、どうしても調神社へは行きたかった。桜も目当てであったが、節目も感じるからだ。

 

午後2時頃、桜区の自宅を出た。郵便物があるのでJR西浦和駅近くの郵便局へ立ち寄り、武蔵野線に乗った。日頃自宅勤務であり、電車に乗るのも、久しぶりだった。おそらく2年程は、電車を使っていない。どんな感じになるかと期待したが、あまり変わり映えがしなかった。

 
 

 
 

南浦和駅で京浜東北線に乗り換え、浦和駅で降りた。すでに湘南新宿ラインのホームが開通し、しかも、地下通路も出来ている。まだ工事は続いているようだが、それでも駅の雰囲気が変わった。ここが県庁所在地の駅?、と思う雰囲気がなく、垢抜けた感じだ。これもまた、レッズ効果だろうか?

 

西口を出て、南へ向かった。かつての丸井の裏の商店街を抜け、旧中山道へ出た。10分も掛からずに、調神社に着いた。目の前のコンビニでは、アニメ「浦和の調(うさぎ)ちゃん」のポスターが目にできる、と聞いていた。ポスターといっても、関連商品のお知らせのようだが、確かに見ることが出来た。実はこれも、楽しみにしていた一つだった。(笑)

 

調神社は、兎を祀っていることで知られている。狛犬の代わりに、兎が出迎える。久しぶりに見ることができ、正直ホッとした。以前は、毎年時期をずらし、初詣をしていた。ここ数年は、それができなかった。初詣と言えばあまりにも遅いので、花見を兼ねたお参りとする。けれども、少しオーバーであるが、帰って来ました、という気持ちだった。

 
 

 
 

湧き水で手を洗い、本殿へ向かった。神道式の二礼二拍一礼を行った。教えてくれたのは、わたしの母方の祖父であり、こうして本殿で形式を守れるのも、祖父のおかげである。わたしも精進せねば、と思うが、成果がないことに歯痒い気持ちもある。しかし、時に頭を垂れることは、自分との対話にもつながる。神社などの意義は、そういうこともあるかもしれない。

 

拝礼の後、旧本殿へ向かった。以前同様、池の反対側にある。だが、新装され、むき出しのような旧本殿ではなかった。しばらく来ない間に変わってしまった。それでも、嫌な気分ではなかった。新本殿と同様、神道式の二礼二拍一礼を行い、頭を下げた。気持ちは同じようだった。

 
 

 
 

そうして、旧本殿側の公園に行った。桜が満開であり、ちょうど見頃だった。花見に来ていた子供たちが騒ぎ、年寄りの姿もちらほら見掛けた。さいたま市の神社で桜が有名と言えば、大宮の氷川神社かもしれない。武蔵国一の宮であり、毎年数多くの花見客が訪れている。初詣の客数も、もしかしたら全国で知られているかもしれない。

 



 

しかし、わたしは、浦和育ちであるので、大宮の氷川神社よりも調神社に親しみを感じる。規模が叶わなくても、公園の桜は鮮やかであり、ゆっくりと落ちていく花びらに、雅も感じられる。ああ、来て良かった、と素直に思った。

 

そうは言っても、時代は変わっているのだろう。90年代半ば頃であれば、桜の時期に親子連れを見ることは稀だった。昨日は公園いっぱいにいるようで、本殿でお参りしている時でも、子供たちの声が聞こえた。おそらく近所にできた団地の影響であろう。開発のおかげで活気が出たのは喜ばしいかもしれない。けれども、穴場の雰囲気がなくなったことは、残念といえるかもしれない。

 
 

 
 

この後、本殿へ戻り、おみくじを引き、お守りも買った。おみくじは何を引いたかは言わないが、結び所にしっかり結びつけた。果たして、今年の自分に当てはまるようになるのか? カミガミのみぞ知る、というところだ。

 

こうして調神社を後にしたが、ふと側の通りを東に向かえば、浦和競馬場へ辿り着ける、と思った。地元であるのに10年以上は訪れていない。開催の時は、インターネットで投票ができるので、足を運ぶ必要がない。こういう時しか、チャンスがない。思い立ったら吉日である。調神社を後にし、東へ向かった。馬場先通りにつながる道であり、高校へ通う時に使っていた。

 

徒歩で10から15分程度であろうか?上り坂の向こうに、浦和競馬場の正門が見えた。警備員がバスを誘導している。開催日ではないが、川崎競馬の場外発売が行われている。無料であると知ってはいたが、少し回りたくなった。正門から右手に周り、馬場先通りに出た。東へ向かうと、左手に住宅、そして、その向こうに競馬場の柵が見える。川を渡り、競馬場の柵に沿って裏手に回った。

 
 

 
 

浦和競馬が開催されていない時、市民へ開放されている。コースの真ん中には川が流れ、芝生も敷き詰められている。親子連れや少年野球チーム、ジョギングしている人などがいた。穏やかな春の日でもあり、体を動かすのにちょうど良い。わたしも、子供の頃、両親に連れられ、中央の芝生の上で遊んだことがある。ちょっとしたピクニックだったことを覚えている。折角なので、中をゆっくり見て回ることにした。

 

芝生内から見た新スタンド。今では浦和競馬場の顔かもしれない。

 
 

 
 

曰く付きの1600メートル地点。カーブ中央にスタート地点があり、難しいコースの一つになっている。

 
 

 
 

第四コーナー付近からの直線。短い距離で有名であり、行った行ったのガチガチ馬券は、浦和競馬の名物と思っていた。しかし、近年は直線で勝負がつくレースも多く、時代が変わったのかもしれない。

 
 

 
 

こうして、第四コーナー辺りから北門へ抜けた。そうして、また正門へ行き、正面から堂々と競馬場内に入った。

 

場内に入ると、記憶とは少し違っていた。正面左側の薄暗い3号スタンドは健在であったが、右側のパドックが垢抜けた感じだった。覚えている中では、もう少し手前にあり、閉鎖的な感じだ。こじんまりしていることに変わりはないが、これほど開放的になっているとは思わなかった。

 

パドックの向こうには芝生があり、建物もあった。記憶の中では、芝生の所に建物があり、ゴール板前にも椅子、あるいは、階段があったように思う。おそらく改修工事がなされたのであろうが、しばらく来てなかったことのツケだろう。さらに、場内の敷地まで、かつては無料バスが乗り入れていなかったように思う。もしかしたら以前よりは、客足が伸びているのかもしれない。

 
 

 
 

けれども、変わらない面もある。たとえば、パドック隣には、お立ち台があった。川崎競馬の場外発売日でもあったので、ほんの数人の予想屋がいた。土台の木材が傷んでいるが、こういう風景は以前にも見た。開催日であれば、予想屋の声が木霊し、聞き入っている客もいる。

 

しかも、やきとりの匂いが漂い、自然と惹きつけられる。思わず腹が鳴ったが、予算外になるので我慢した。しかし、公営ギャンブルとはいえ、お祭りのような感じだ。浦和競馬場は、B級グルメで知られているようで、有名なメニューもある。今度は事前に十分調べてこようと思った。

 

そして何より、懐かしさと嬉しさがあったのが、薄暗いスタンドがそのままであることだ。3号スタンドであるが、購入窓口が正門側にあり、その反対側にさらに窓口があり、払戻所もある。薄汚れた感じは、わたしが来ていた頃と変わっていなかった。

 

この払戻所には思い出があり、1992年のしらさぎ賞が頭に浮かんで来た。しらさぎ賞は今月開催のメインレースであり、来たくないと言えばウソになる。さらに、3号スタンド横のコンクリートの階段も変わらない。窓から見るゴール板風景は、何とも言えない感慨深さである。

 

3号スタンド横の新4号スタンドにも入った。場外発売日であるが、結構人がいた。地方競馬もレジャー化が進んでいるのだろうが、感想は変わらない。ほとんどが中年以降の男性客であり、オヤジの遊びの雰囲気がたっぷりあった。若い人もいたが、ちらほらだった。平日であるので、仕方ない面もあろう。

 

それでも、わたしにとっては居心地が良く、3Rと4Rを場内テレビとオーロラビジョンで見てしまった。歩いていたこともあり、新4号スタンドの3Fの椅子に座った時は、肩の力が抜けるようだった。馬券を買わなくても、この雰囲気を味わえたことだけで、個人的には満足だった。

 
 

 
 

こうして、帰路に付くことにした。久しぶりの訪問であったが、実に喜びでいっぱいになった。先述しているように、今月開催のメインレースは、しらさぎ賞である。わたしの思い出は暑い時期であったが、何十年も経っているので、開催時期が移動したのだろう。けれども、やはり、心が動く。

 

今度は開催日に来たい。むろん、状況と財布の中身との相談だ。(笑)

 

入った時と同じように、正門から出た。その前に、再びパドックを眺め、同時に桜の木を見た。一本だけであるが、晴れ渡った日にお似合いのように、満開であった。おそらく何十年と、同じところで人々の喜怒哀楽を見ているのだろう。わたしも、その一人であったし、もう一度復活するかもしれない。少し格好つけ過ぎであろうが、通りすがりに、じゃあなまたな、と心の中で声を掛けた。

 
 

 
 

4月7日は、わたしにとって大切な日である。今年は、どうしても調神社に行きたかった。それを実現させ、思い切って浦和競馬場にも訪れた。桜区の実家まで徒歩で帰った。疲れはあったが、心地よいものでもあった。

 

地元を巡る。これもまた、時には悪いことではない。