昭和には 2つの転換点がある
一つは昭和20(1945)年 もう一つは昭和60(1985)年
昭和20年は言うまでもない 敗戦である
日本の世界史の中での一つの役割が終わり 剣の忘却の始まりでもある
昭和60年は後年になって注目された プラザ合意である
円高時代の始まりでもあり 今日にまで続く出来事だ
個人的にはプラザ合意以後 あまり変化がないと感じてる
バブル崩壊を経て 平成デフレ時代に突入した
日々 過去の繁栄の遺物を消化し
今では痕跡があるのかどうかも 疑わしい
戦いに敗れながら 労苦で築き上げた先人の遺産を食い荒らし
つまらぬイデオロギーが密かに残り あらゆる分野を席巻し 完成を試みる
口に優しい言葉で近づき 最終的には
わがままなイデオロギーに 染め抜く
こうしなければ ああしなければ これが世界基準
上から目線とは まさにこういうことだろう
人は逆説性をはらんでいる 良いことが悪いことにもなる
平等と同等の区別もつけず 別な集団主義が訪れる
果たしてその集団主義とは 伝統的なものか? 慣習的なものか?
古臭い習慣であり 唾棄すべきものか?
むしろ批判し 否定しているものこそ 悪しき集団主義であり
伝統的な分け合いを歪め 伸びゆく精神や心まで破壊しているのではないか?
人は主観の生きものだ 自分の視点から物を見る生きものだ
理性とは 自然から与えられたものにしか過ぎない
いわゆるヒューマニズムを 嫌悪する理由の一つだ
昭和20(1945)年と昭和60(1985)年は ちょうど40年の開き
次に訪れるのは令和7(2025)年だ あと6年だ
どんな転換点がやって来るのか? 悲観の後の楽観を望む