一ヶ月遅れ、されど一ヶ月遅れの初詣 田島氷川神社

一昨日(2017年2月1日)、犬の散歩を中止し、地元の田島氷川神社へ赴いた。毎年、時期外れの初詣をしているが、今年は少し早めようと一昨日の晩に思い立った。それでも、一ヶ月遅れであるので、カミガミはあまりお喜びになられないかもしれない。(笑)

 

しかし、行かないよりは行った方が、どこか心が落ち着く。わたしは、神道の氏子ではないが、母方の実家が神道であり、かつて家族を営んでいた者も神道であった。なおかつ、わたし自身も日本から出たことがないので、自然と神道に親しみを持ってしまう。これもまた、経験のなせる技かもしれない。

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もうすぐ開花予想

年が明けてから、二ヶ月が過ぎようとしている。来月下旬ともなれば、桜の開花予想がなされ、見頃時期などがテレビで放映される。もっとも、テレビを見なくなってから久しくなるので、わたしの場合、ニュースサイトからである。

 

否が応でも目に入る。

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二つの顔の太宰

太宰治が玉川上水で身投げをしてから、約70年の月日が経っている。よくよく見れば、彼は大東亜戦争前に育った人間であり、戦後育ちとは異なった環境で作家として認められた。けれども、21世紀になった今でも、太宰治の力は健在であるように思う。

 

たとえば、太宰と言えば、「人間失格」をイメージする人が多いだろう。主人公である大庭葉蔵の手記として描かれ、人の心のマイナス面をこれでもかこれでもか、と書き連ねている。けれども、わたしが見るところ、冒頭部分で語り尽くされているように思う。一語で表わせば、「恥」である。おそらく今の人たちの中にも、こういう「恥」を感じながら生活している人がいるだろう。「人間失格」は、文庫版の累計で、600万部を越えているという。もちろん、これは21世紀の現在をも含めた数である。日本を代表するベストセラー作家の作品と言ってもいいだろう。

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形にならない想い

本日で4月も終わりである。今年(2015年)も3分の1が過ぎようとしている。いつものことだが、月日は実に速い。わたしも、40半ば近くのオヤジであり、とっととくたばってしまうのでは、などと暦の速さを感じる度に思ってしまう。けれども、まだまだやり足りないことがあり、まだまだくたばれない、というのが本音である。

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とりとめのない言葉

時にモヤモヤッとした感覚に囚われる。かつて「ぼんやりとした不安」という言葉を残し、この世を去った有名な作家がいたが、そんな大それたものではない。本当にモヤモヤッとしたものだ。霧に包まれているのでもない。あるいは、暗闇に閉ざされているのでもない。

 

そこにいるとは分かっていながらも、どこか遠くを見つめているような、そんな感覚である。おそらく先の「ぼんやりとした不安」の「ぼんやり」は同じでも、「不安」ではない。心配でもなければ、憂鬱でもない。基点も定点もない、どこか浮ついた感覚でもある。

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