昨夜のことである。飼い犬とともに、近所の田島氷川神社まで散歩に行った。日曜の夜なので、ひと気がなく、わたしにとっては、実に有り難かった。若い頃から、ゴチャゴチャした場所が苦手で、満員電車が大嫌いだった。朝夕のラッシュでは、比較的人が少ない車両を選んだり、遠回りなどをし、都心まで出ていた。もっとも、満員電車が大好き、という人は、わたしに言わせれば、特殊な人である。広い世の中、そういう人がいてもおかしくはないだろうが、やはり、本当の意味でのおかしいと言ったら、語弊があるだろうか?(^o^)
ともあれ、昨夜の散歩は、実に爽快であり、久しぶりに満足した。田島氷川神社については、すでにこのサイトでも触れている。
- 神社への散歩
この時期になると、田島の獅子舞が開催されるようだが、今年もまた、見ることはなかった。地元の行事というものは、そんなものであろう。しかし、仮にねぶた祭りのような全国的に知られたものであれば、地元の名を上げるため、積極的に参加するかもしれない。要は、首都圏育ちの地元意識でもあり、伝統行事があっても、それほど思い入れが湧かないものかもしれない。
けれども、神社に関しては、個人的に特別な想いがある。一人暮らしを始めてから、大抵近くの神社へお参りに行った。一昨年の年末に実家に戻ったので、先で触れている田島氷川神社へのお参りであり、初詣もまた、時期を少しずらし、犬の散歩のついでに行った。
正直なことを言えば、田島氷川神社は、住宅地の奥にあり、それほど大きな敷地ではない。裏手に鴨川という人工用水路があり、二つの公園に挟まれた形である。おそらく、ああ神社がある、程度で見過ごされるかもしれない。しかし、わたしの記憶では、延喜式神社の一つであり、古代まで還ることができる。武蔵一宮である大宮の氷川神社や調神社と遜色がなく、由緒正しい神社のようだ。
けれども、そうだからと言って、何でもかんでも素晴しいものだ、という気はない。神社であっても、あまりにもこざっぱりしたものもあれば、人ばかり多くて、ゆっくりできないところもある。さらに、わたしにとっては、思わず見とれてしまうような桜があることが、気分を良くしてくれる神社である。
こう言えば、お分かりであろう。昨夜の桜は、わたしの心を洗ってくれるようだった。正確には、田島氷川神社隣の公園であり、枝が大きく広がった桜が数本あった。公園の街灯に照らされ、ほのかな光が妖艶さを演出しているようだった。あいにく曇りだったが、仮に月光があれば、申し分なかったろう。桜の向こうに住宅があるとしても、そういうものを打ち消してしまうような鮮やかさだった。
仕事柄、昼間に自宅を出ることが少ないため、桜を見るなら、自然と夜になる。しかし、上記のような桜であれば、昼間でも目にしたいと思った。今年の見頃も、首都圏では、すでに終わりに向かっている。来年チャンスがあれば、昼間に赴いてみよう、と思っている。
神社と桜。
実に似つかわしく、とりわけこの時期は、神々の笑いが聞こえて来るようだ。