春を感じながらも無気力な日

今日(2015年4月23日)は、非常に暖かだった。在宅の身でありながらも、汗ばむような陽気であり、一日窓を開けていた。実は、これを書いている最中でも、向こうの窓は少し開いている。それでも、寒いということもなく、いよいよ春が到来する季節でもある。

 

けれども、そうだからだろうか?

 

今日は、一日中、何もする気がしなかった。わたしの日課は、起きればパソコンを起動し、メールなどをチェックする。依頼があれば、リクエストを出し、発注されれば、そのまま仕事に取り掛かる。あるいは、個人的な仕事もあり、依頼がない場合、そちらを重視する。現在、依頼がない状態なので、個人的な仕事が主となっている。それもまた、無気力な自分となってしまった原因でもあろう。

 

しかし、春というものは、意外にそんなものかもしれない。5月病というものがあるが、もしかしたら、季節と深い関わりがあり、人がまだまだ自然とも関係している証かもしれない。そうでなければ、時に命に関わるような5月病などは、生まれないかもしれない。

 

あるいは、春と言えば、生命の息吹を徐々に感じられる季節でもある。わたしはメス柴を飼っているが、今が盛りの時期である。10歳を過ぎたとはいえ、元気であり、そういう熱い季節には熱い行動をするのだろう。もっとも、熱いと言っても、甘えに近いような熱さであり、時に疎ましくもなる。終われば、平然としているのだから、それもまた、小憎らしくなる。けれども、やはり、自然な行動でもあろうから、犬にとっては、必然なのだろう。

 

こんな状況であるから、今日は仕事もせず、ただボーッとしていた。パソコンもただの遊び道具と化し、今では死語であろうネットサーフィンをし、あっという間に時間が過ぎてしまった。会社勤めの人には申し訳ないが、フリーのしがない在宅勤務者の特権のようなものかもしれない。そうは言っても、経済的には余裕がないので、因果応報と言えば、そうかもしれない。

 



 

そういえば、そろそろ携帯の機種変をしようかと思っている。いわゆるガラケーを利用し、それで事足りていた。今でも、ガラケーがなくならないのは、わたしみたいにこだわりのない人が多いからかもしれない。しかし、機械には限界があり、充電池の調子がおかしい。それもそのはずである。購入したのが2009年2月である。おそらくWinモデルは、遠い昔の機種のようになっているのだろう。

 

いっそのこと、スマートフォンにしようか?、と考えてもいる。パソコンでしかネットをしていないが、自分の環境なども変化しているので、タイミングとしては十分かもしれない。しかし、結局、お金の問題である。コストがどれくらいになるのか、きちんと計算してから決めたいと思う。

 

実は、今日のような無気力な日には、上記のようなことを調べるのに最適だった。かつてIT業界に関わっていたとはいえ、まだまだ分からないことだらけであり、しかもモバイルについては、ほとんど素人と同じである。いずれモバイルの時代が来るのかもしれないが、まだまだ先のようにも思っている。浅はかな理解の中であるが、最終的にはデータ量と通信の関係が最大の障害でもあるように思う。もっとも、電波が借り物でもあるので、有線のようにいかないこともまた関係しているのかもしれない。

 

情報検索はモバイル、動画はパソコン。

 

仮にスマートフォンを持つことになったら、こうなるようにも思っている。

 

これからメス柴との散歩である。無気力な日であったが、飼い主を止められないのは、子を捨てられない親と同じである、と言えば、語弊があるだろうか?

 

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