小春日和なツブヤキ

日付では昨日(2013年2月23日)になるが、非常に暖かだった。すでに春一番が吹いたところもあるようで、季節はしっかり巡っている。わたしは、在宅仕事をしている、しがないオヤジで、犬を飼っているので、夜に散歩に行く。言換えれば、夜しか動かず、昼はパソコンの前でパチパチしている。良い年して、籠もり屋か?、と思われるかもしれないが、半分は当たっていると妥協しておくが(笑)、仕事であるので、仕方ない。

 

おそらく会社勤めの人から見れば、「痛勤電車」がなくて、羨ましがられるかもしれない。それは、その通りで、もう「痛勤電車」に乗ることはできないだろう。しかも、昼間から自宅にいられ、側には犬がいる。これで白い家だったら、どこかの歌のようだが(笑)、わたしのようなオヤジには、決して似合わない。ましてや、犬は白ではなく、赤である。しかも、海外ドラマに出て来るような洋犬ではなく、柴犬である。それに、バカである。ボケている。アホである。まったく飼い主は誰だ!!、と言いたくなる。(笑)

 

けれど、これがわたしなのだろう。そうして、これからも、この生活が続き、いつかはこの世から去って行く。それでも、何かしらの出来事が起こり、時にアタフタし、時にドギマギし、自分なりの解決を見出していくのだろう。こんなことを思うと、しがないオヤジであるが、ポワロやホームズよりも、マープルの方が似つかわしい。

 



 

よく旅に出て、自分を見つける、とある。国内のこともあれば、海外のこともある。わたしは、海外へは行ったことはないが、学生時分には、旅に出た。そうはいっても、せいぜいがご先祖様の近くであった。けれど、それをしても、どこかしら晴れ晴れとはしたが、何も生まれなかった。そうして、また東京近郊での生活が始まり、右往左往しながら、ここまで来ている。

 

それだけの男。確かにそうである。
それだけの技量。確かにそうである。

 

しかし、わたしは思う。自分なんてものは、どこに行っても自分である。なぜなら、そこにいるのは、自分だから。格好つけても、格好もつかない。ただの池田晶子の受け売りである。(笑) そうであっても、わたしという自分は、ここにしかいないと思っている。けれど、こうも思う。

 

一体、そのわたしとは何なのか?

 

これはどこまでも続き、どこまでも循環する。そうであるからこそ、生があり、おそらく死も関係するのだろう。小春日和と言っていい、2月末近くに、バカなことを思いながら、バカなことを綴っている、バカなオヤジである。