産経ニュースで、こんな記事を見つけた。
わずか5分の区間が混雑緩和の切り札に 3月14日開業「上野東京ライン」-
おそらく東京駅や上野駅を利用している人であれば、当に知っていたことかもしれない。けれども、わたしのような自宅が職場の人間には、へえ、そうなのか、と思った。会社勤めや学生の頃は、東京駅や上野駅には、良く立ち寄っていた。とりわけ、上野駅は、東北とのつながりがあるため、わざわざ遠回りしても、使っていたものだ。けれども、新宿や渋谷などへ通勤するようになってから、遠回りはしなくなった。そうは言っても、やはり、上野駅には、どことなく親しみがある。
今でも記憶があるが、子供の頃、母方の祖父が我が家へやって来た。かつての原町、現在の南相馬市原町区に祖父の家があるので、上野駅から常磐線で帰ることになった。わたしは、母に手を引かれ、ホームまで見送りに行った。当時は、まだSLが走っていたと思う。蒸気を昇らせた列車が入線した時、祖父が懐中から500円札を出した。
「ほれ、小遣いをやれ!!」
そう言っていたと思う。しかし、母は断わった。わたしは、欲しいと思った記憶がない。ただ、500円札の岩倉具視の顔が、今でも脳裏に浮かんで来る。祖父の手に握られ、しわくちゃのように見えたが、どこかキラキラした感じがし、印象に残っていた。祖父は、母に断わられた後、列車に乗り込んだ。ここからは曖昧だが、母とわたしが見えなくなるまで、手を振っていたと思う。
すでにお分かりであろうが、わたしの母は、南東北の出身である。東京へ出て来た時も、常磐線に乗り、上野駅に降りた。また、わたしは、田舎というと、原町であり、特に学生時代は、折りを見て、田舎へ行った。常磐線を使った。特急であっても、他の電車より揺れる感じがした。北へ向かうにつれ、窓外に田畑が広がり、太平洋が現われ、軒下につながれた馬も見えてくる。
上野駅は、やはり、東北の玄関口のイメージがある。しかし、2011年3月11日を機に、わたしの目にありあり刻まれた地域は、いまだ常磐線が再開していない。一体、何時になるのか、皆目見当が付かない。そうは言っても、時が解決すると、信じるしかないのだろう。
先の記事の中では、東京駅と上野駅が直結することで、わずか3分程度の距離でありながらも、かなり通勤ラッシュが緩和されるようだ。自宅が仕事場であると、当然、電車を使うことはない。けれども、ああいう記事を読むと、ふと出掛けてみたくなる。
上野駅には、有名な啄木の歌碑がある。わたしは、育ちが浦和であり、生粋の浦和っ子、と呼べるだろうが、心情と肉体には、東北とのつながりがあることは間違いない。時代は違えど、この歌を忘れることはない。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
(青空文庫:http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html)