地元近くでもカッパ(志木市)

カッパに関する記事は、すでにアップしている。

 

 

柳田国男の地元が、町おこしのためにカッパ像を造り上げたが、なんともはや、グロテスクであり、そうであるからこそ、リアリティもあるのだろう。伝説の生き物であるとはいえ、一昔前であれば、非常に身近であったのかもしれない。

 

実際、かつて川と言えば、カッパの看板が必ず立っていたように思う。近づくと危険、と注意書きがあり、横に川面から顔を出すカッパの絵があった。わたしは、旧浦和市で育ち、見沼代用水が近所にあった。カッパの絵、として、子供ながらに記憶していた。しかし、見沼代用水のような大きな川ばかりでなく、どぶ川でもカッパの注意書きがあるのが、当たり前のようだった。表面にヘドロが溜まっているため、底が見えない。母親には、底なし沼だから危ないよ、などとと言われていた。本当は底にコンクリートが敷き詰められていたのだが、子供であるので、素直に聞いていた。

 

そんなカッパの注意書きが知らぬ間に姿を消し、どこへ行ったのやら?、と思っていた。おそらくある年代までの人たちは、カッパの注意書きをよく知っているかもしれない。いや、むしろ、年代云々ではなく、カッパ伝説そのものが、日本中にあるため、先でも触れているが、ある時までカッパが非常に身近だったのだろう。決してわたしが育った地域だけのものではない。そうであるからこそ、柳田国男が、先住民の残滓として、研究を重ねたのかもしれない。そんなカッパであるが、埼玉県志木市にも伝説があり、市のシンボルになっている。東武東上線志木駅前には、カッパの石像が並び、往来する人々が目にできるようになっている。

 

 

上記の映像を見ればお分かりのように、先のグロテスクなカッパ像とは、大きく異なる。愛くるしさがあり、人によっては、つい目を細めてしまうだろう。けれども、表面上、グロテスクなカッパとは、正反対のものとなっているが、何らかの印象を与える点では、同じような効果があるように思う。

 

わたしは、現在、さいたま市桜区に居住し、志木市と言えば、お隣になる。しかも、秋ケ瀬橋の半ばから志木市となり、今の住まいから5分もあれば、志木市に入ることができる。秋ケ瀬橋の下には、荒川が流れ、葛西臨海公園行の遊覧船に乗ることができる。橋は武蔵野線と平行に走っているため、オレンジ色の列車を横目にすることができる。首都圏とは言え、広々とした感じがし、カッパがいても、違和感を持たないかもしれない。

 

もっとも、正直なことを言えば、お隣の市であるとはいえ、カッパが志木市のシンボルであることは、上の動画を見るまで知らなかった。20代始め頃、志木市でアルバイトをし、自転車で秋ケ瀬橋を渡っていた。今から思えば、気力も体力もあったのだろう。このため、志木市と聞くと、身近に感じてしまうことは、否めない。しかし、たとえ身近であっても、知らないことがあり、むしろ、そうであるのが、当たり前かもしれない。

 

「灯台下暗し」

 

案外、自分の周囲を見渡すことで、新たな発見があり、楽しみも増えるのかもしれない。

 

 

もう4年、されど4年 東日本大震災

本日が何の日であるのかは、多くの人がご存じであろう。本記事タイトルからも分かるように、4年前の今日、東日本大震災が発生した。記憶では、公式な地震発生時間が、14時46分。日本は世界でも有名な地震国であり、わたしも関東に生まれ育った身であるので、幼い頃から地震を経験している。慣れ、というとおこがましいが、どういうものであるのかは、体感で得ている。しかし、4年前のあの揺れは、今でも思い出す。

 

たまたま学生時代、漁船に乗船する機会に恵まれ、しかも、作業途中、白波が立ったとのことで、その中を引き返す体験をした。海水が糊のようになり、上下に激しく揺れ、船の上で容易に立っていられない状態だった。当然、陸育ちで、しかも都会暮らしの身であるため、漁船には慣れていない。船酔いした。これに似た揺れが、まさに東日本大震災のものだった。

 

あの日は、前日徹夜をしたので、地震発生時間には寝ていた。徐々に床が揺れてくることを感じ、大きくなった頃、これはおかしい、と飛び起きた。そうして、生まれて初めて玄関まで走ろうとし、途中で揺れが小さくなったので、立ち止まった。ふと後ろを見ると、飼い犬の姿があり、わたしの後を追いかけて来たようだ。正直、ホッとし、再び床についたが、起きてからは、地震関連のニュースサイトにアクセスし、以後、仕事どころではなくなった。日々事態が進行し、しかも、住んでいる地域ばかりが気になったのではない。

 

わたしが「田舎」と呼び、幼い頃から親しみを込めていた原町が、ニュースの話題に上っていた。津波の被害はもちろん、それ以外のことでも、日本ばかりでなく、海外でも取り上げられていた。原町とは、かつての原町市であり、現在の南相馬市原町区である。母の出身地であり、多少なりとも、地域の光景を知っている。事態が悪化する度に、いたたまれない気持ちになった。この頃の思いは、別なところでも書いている。おそらくそちらの方が、文章がめちゃくちゃでも、当時の気持ちが素直に出ているかもしれない。

 

 

繰り返すようだが、あれから4年が経った。今年(2015年)は、女子サッカーのワールドカップがある。2011年大会では、多くの日本人が熱狂したことだろう。今年も期待をしながら、鑑賞したいと思っている。けれども、4年が経ったとはいえ、まだまだ震災の爪痕は残っている。色々な問題があるにせよ、大きな体験をした記憶は、表面から消えたように見えても、心の奥深くでは、拭いようがないであろう。共存できるか否かが大事であり、心の平静を保つ上でも、非常に重要なことのように思う。

 

かく言うわたしは、4年前、マンションで一人暮らしであったが、今は、母と共に、実家で暮らしている。東日本大震災が発生した頃、実家に戻るようになるとは思ってもいなかった。けれども、何が起きるか分からないのが、この世の中でもあろう。一寸先は闇、と言うが、日常生活においても当てはまる。特別なことをしなくても、何らかの事が起きたり、あるいは、降りかかって来ることもある。そうであるからこそ、哀しみもあり、喜びもあり、そうして、淡々と時が流れていくのが、人の世なのかもしれない。

 

先でも述べたように、東日本大震災発生以後、しばらく仕事ができず、イライラした自分がいた。なんとかできることはないか、とインターネットで情報収集に精を出していた。しかし、何かをなそうとしても、結局は、何もできなかった。そうして、ふと思ったことがある。今の自分でできることは、たいしたことはない、それよりも、できるだけ自分の日常に戻るのが、大事だ。こうして、再び仕事に取り掛かることができた。

 

しかし、そうは言いながらも、時折「田舎」を思い出し、特に常磐線の窓外の風景は、わたしにとっての日本の原風景のようにもなっている。震災から4年が経ったとは言え、目にできない場所があることもまた、確かである。震災の時もそうだったが、今でも、「方丈記」の冒頭部分が、時々浮かんで来る。若い時分に読み、いたく感動し、好きな古典の一つでもあるが、震災を機に、ますます感慨深い作品のように思った。

 

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 (青空文庫 - 方丈記

 

これからも、時が淡々と流れ、わたしの身辺が変わったとしても、おそらく東日本大震災でのことを、忘れたくても忘れることはできないであろう。

 

 

 

岩倉具視の500円札と上野駅

産経ニュースで、こんな記事を見つけた。

 

わずか5分の区間が混雑緩和の切り札に 3月14日開業「上野東京ライン」-

 

おそらく東京駅や上野駅を利用している人であれば、当に知っていたことかもしれない。けれども、わたしのような自宅が職場の人間には、へえ、そうなのか、と思った。会社勤めや学生の頃は、東京駅や上野駅には、良く立ち寄っていた。とりわけ、上野駅は、東北とのつながりがあるため、わざわざ遠回りしても、使っていたものだ。けれども、新宿や渋谷などへ通勤するようになってから、遠回りはしなくなった。そうは言っても、やはり、上野駅には、どことなく親しみがある。

 

今でも記憶があるが、子供の頃、母方の祖父が我が家へやって来た。かつての原町、現在の南相馬市原町区に祖父の家があるので、上野駅から常磐線で帰ることになった。わたしは、母に手を引かれ、ホームまで見送りに行った。当時は、まだSLが走っていたと思う。蒸気を昇らせた列車が入線した時、祖父が懐中から500円札を出した。

 

「ほれ、小遣いをやれ!!」

 

そう言っていたと思う。しかし、母は断わった。わたしは、欲しいと思った記憶がない。ただ、500円札の岩倉具視の顔が、今でも脳裏に浮かんで来る。祖父の手に握られ、しわくちゃのように見えたが、どこかキラキラした感じがし、印象に残っていた。祖父は、母に断わられた後、列車に乗り込んだ。ここからは曖昧だが、母とわたしが見えなくなるまで、手を振っていたと思う。

 

すでにお分かりであろうが、わたしの母は、南東北の出身である。東京へ出て来た時も、常磐線に乗り、上野駅に降りた。また、わたしは、田舎というと、原町であり、特に学生時代は、折りを見て、田舎へ行った。常磐線を使った。特急であっても、他の電車より揺れる感じがした。北へ向かうにつれ、窓外に田畑が広がり、太平洋が現われ、軒下につながれた馬も見えてくる。

 

上野駅は、やはり、東北の玄関口のイメージがある。しかし、2011年3月11日を機に、わたしの目にありあり刻まれた地域は、いまだ常磐線が再開していない。一体、何時になるのか、皆目見当が付かない。そうは言っても、時が解決すると、信じるしかないのだろう。

 

先の記事の中では、東京駅と上野駅が直結することで、わずか3分程度の距離でありながらも、かなり通勤ラッシュが緩和されるようだ。自宅が仕事場であると、当然、電車を使うことはない。けれども、ああいう記事を読むと、ふと出掛けてみたくなる。

 

上野駅には、有名な啄木の歌碑がある。わたしは、育ちが浦和であり、生粋の浦和っ子、と呼べるだろうが、心情と肉体には、東北とのつながりがあることは間違いない。時代は違えど、この歌を忘れることはない。

 

ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく 

「一握の砂」煙:二
(青空文庫:http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html

 

 

小春日和なツブヤキ

日付では昨日(2013年2月23日)になるが、非常に暖かだった。すでに春一番が吹いたところもあるようで、季節はしっかり巡っている。わたしは、在宅仕事をしている、しがないオヤジで、犬を飼っているので、夜に散歩に行く。言換えれば、夜しか動かず、昼はパソコンの前でパチパチしている。良い年して、籠もり屋か?、と思われるかもしれないが、半分は当たっていると妥協しておくが(笑)、仕事であるので、仕方ない。

 

おそらく会社勤めの人から見れば、「痛勤電車」がなくて、羨ましがられるかもしれない。それは、その通りで、もう「痛勤電車」に乗ることはできないだろう。しかも、昼間から自宅にいられ、側には犬がいる。これで白い家だったら、どこかの歌のようだが(笑)、わたしのようなオヤジには、決して似合わない。ましてや、犬は白ではなく、赤である。しかも、海外ドラマに出て来るような洋犬ではなく、柴犬である。それに、バカである。ボケている。アホである。まったく飼い主は誰だ!!、と言いたくなる。(笑)

 

けれど、これがわたしなのだろう。そうして、これからも、この生活が続き、いつかはこの世から去って行く。それでも、何かしらの出来事が起こり、時にアタフタし、時にドギマギし、自分なりの解決を見出していくのだろう。こんなことを思うと、しがないオヤジであるが、ポワロやホームズよりも、マープルの方が似つかわしい。

 

よく旅に出て、自分を見つける、とある。国内のこともあれば、海外のこともある。わたしは、海外へは行ったことはないが、学生時分には、旅に出た。そうはいっても、せいぜいがご先祖様の近くであった。けれど、それをしても、どこかしら晴れ晴れとはしたが、何も生まれなかった。そうして、また東京近郊での生活が始まり、右往左往しながら、ここまで来ている。

 

それだけの男。確かにそうである。
それだけの技量。確かにそうである。

 

しかし、わたしは思う。自分なんてものは、どこに行っても自分である。なぜなら、そこにいるのは、自分だから。格好つけても、格好もつかない。ただの池田晶子の受け売りである。(笑) そうであっても、わたしという自分は、ここにしかいないと思っている。けれど、こうも思う。

 

一体、そのわたしとは何なのか?

 

これはどこまでも続き、どこまでも循環する。そうであるからこそ、生があり、おそらく死も関係するのだろう。小春日和と言っていい、2月末近くに、バカなことを思いながら、バカなことを綴っている、バカなオヤジである。

 

 

「踊る人形」ならぬ「踊るロボット(Robi)」

ホームズの「踊る人形」ならぬ、「踊るロボット」である。

 

 

いやはや、思わず壮観という言葉が浮かんだ。わたしのようなオヤジでも、かわいらしく感じ、つい目を細めてしまう。こんなロボットであれば、決して「ターミネーター」にはならないだろう、と多くの人が思うかもしれない。(^o^) けれども、上記動画は、大阪で開催されたもので、実は、今年(2015年)の1月にも、別な場所で100体のロボットダンスがお披露目されている。

 

 

これは東京で行われたもので、BBC World Newsでも見た。こちらでも、ついついにっこりしてしまったが、やはり、首都東京だからか? 現時点では、先の大阪開催のものは、BBC World Newsでは見ていない。もっとも、国際ニュースは、BBCだけではないので、ほかのところで、すでに放映されているかもしれない。ちなみに、BBC Newsでは、今でも記事が公開されているが、動画は削除されている。

 

 

ところで、踊っているロボットは、パーツを集めれば、組み立てが可能なようだ。週刊「Robi」という雑誌で、70号分集めれば、付録のパーツを全て揃えることができる。

 

せめて一台。

 

とは思うが、組み立て上げるまで、待つことができるかなあ。

 

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